2009年12月17日木曜日

アイサ・ファンさん

社会問題作文

   私は今回の社会問題のトピックを「アメリカのホームレスの人達」に決めました。そもそも、ホームレスとは何なのか、何処に住んでいるのか、なぜホームレスになるのか、どうやってホームレスの人達を助けられるか、などの疑問を答えたいと思います。
ホームレスの定義は色々あると思いますが、Pbs.orgによると、「ホームレスは夜になると帰る家が無い人達」と書いています。ホームレスのデータを集めると、ホームレスの数は年々変わりますが、アメリカ合衆国では百万から三百万人の人達がホームレスだと思われています。そのなかで、アメリカのホームレスの四割は昔、軍で戦ったベテランの人々だと思われています。ちなみに、日本では多くて六万人もホームレスだと予想されています。アメリカではカリフォニア州、ワシントン州、コロラド州とネヴァダ州が一番ホームレスの人達が集まっている州だそうです。この情報によると、ホームレスの七十一パーセントはやはり大きい都会のほうに住み、人口の少し大きい目の町の方がホームレスが少ないそうだ。アメリカのホームレスは三十九パーセント白人、四十二パーセント黒人、十三パーセントヒスパニック、そしてその他の六パーセントが東洋人やインド人です(nationalhomelessness.org)。
次はなぜごく普通の人がホームレスになる可能性があると言う点を説明したいと思います。ホームレスになる一番の理由はまず「就職が探せられない」言う事です。普通の人は就職が決まったり、バイトを探せるが、ほとんどのホームレスの人達はしっかりした収入は無いのです。普段ホームレスの人達は怠け者と言う印象がありますが、ホームレスの人達は就職を探してない訳でもないし、怠け者や頭が悪いと言う訳でもないのです。ただ、長い間仕事を見つけられないと、次に就職を探せる確立は10.2パーセント下がると言われてい(www.fas.org)。
   仕事が無いと、家賃とかもとても払えないし、アパートと家や不動産を買う余裕も無いのです。ほとんどのホームレスの人達は多くこんな場合で貧苦になります。そして例えお金があった場合でも、お金の管理が下手だったり、ギャンブルや麻薬の使いによってお金を無くすケースも多いのです。アメリカやヨーロッパのホームレスの一割は麻薬を悪用しているそうです。(Samhas.gov)他に、借金を払えないとか、詐欺や事故にあった人達もホームレスになる場合もあります。そして、家族に捨てられたお年寄りだったり、戦争で足や腕をなくした軍の老人と言うケースが一番かわいそうだと思います。
   最後にホームレスの人達をどう助けたらいいのかについて、色々な方法を探してみました。普通の人でもホームレスの人達を助ける事ができます。まず、まだ使えるけどもう使わない製品や服などを支援することが大切です。Salvation Armyとかに古着、本、缶詰、食べ物(シリアルなど腐りにくい者)、お金、布団や毛布、コート、帽子、手袋、歯磨きグッズ、食材の調理する道具、など色々な物を支援することが出来ます。物だけでものなく、就職のチャンスやシェルターでボランティアもすることも出来ます。シェルターは色々な町にありますし、よく一手が足りないそうです。時間があれば、ホームレスの施設にボランティアしたらいいと思います。マスコミや政治家にもホームレスの人達の為にちゃんと支援やお金が届いているようにしておいた方が良いです。世間はほとんどホームレスの事情が知らないので、メディアや政治家にまじめに鼓吹したら、ホームレスの人達を助けることができます。

2009年12月15日火曜日

アダム・シェイドさん

教育の資金

   アメリカでは教育がとっても大切です。毎年、教育や公立学校を改善するために何千万も使われています。政治が税金で教育の資金を集めって、そしてその資金を公立学校に分配します。しかし、ある学校は別の学校よりももっと資金をもらう場合がよくあります。やはり大きい学校であれば、たくさん教師に支払わなければならないし、学校の建物や構内などを整備するためにもっと資金が必要です。けれど、小さい学校ではそれは不公平だと思います。
  この問題は何年前から続いていて、かなり大変なことです。税金が高くなったら、払っている人たちが文句を言います。特に、子供がいない家族は文句を言います。なぜかというと、かれらは教育を改善するために払っても子供がいないからお金を無駄に使っていると思う人が多いからです。
  最近、アメリカのいろいろな州では資金のせいでいくつかの教育問題が起こってきました。ひとつはハワイ州で起こりました。公立学校はたいてい一年の間180日開いていることになっていますが、最近、予算削減のせいでハワイ州の公立学校は一年の間163日開けていることにしました(1)。学生にとってそれはうれしいことだと思います。けれどハワイ州の学生の将来によくないことだと思います。その上、学生の両親にとって心配させることだと思います。
  もうひとつの問題は最近イリノイ州で起こりました。イリノイ州は米国中西部の州の中でお金持ち学区と貧乏な学区の相違が一番大きいです(2)。つまり、お金持ちの地方の資金は足りるので、学生たちは大学に入るための準備がよくできるし、将来いい仕事を見つける可能性が高いです。反対に、貧乏な学区の地方では資金が足りないので、学生たちは大学に入るための準備があまりできないし、将来いい仕事を見つける可能性がそなに高くないです。
  この問題を解決するために、政治や納税者の協力が必要です。それに、教育の資金を大切に使う必要があります。その解決する方法について詳しく説明したいと思います。ます、教育の資金をもっと公平に分配するために一つずつ学校を評価しなければならないと思います。その評価は教師の給料や浪費的な購買などを求めることで、一つずつの学校がどれぐらいお金必要かはっきりとわかると思います。その評価は政治の協力で行います。評価が終わってから、情報を集めてどういう風に資金を分配するか決めます。大きい学校はやはりもっとお金が必要ですが、ほかの学校が困らないように資金を分配しなければならないと思います。その上、分配された資金がどういう風に使うか詳しく計画を作らないといけません。
  これらのことで、教育の資金の問題を少しでも解決できると思います。やはり解決するのは簡単なことではありませんが、一歩一歩この大きい問題を正すことができると思います。教育はとっても大切なことだから、この問題を解決しないと将来困ります。政治や皆さんの協力で大きいな影響が起こるでしょう。

2009年12月14日月曜日

ミサ・パークさん

子供の問題

   最近、景気が悪くなってきて子供保護(ほご)のないがしろ関連(かんれん)事例(じれい)が増えています。ワシントンメトロによるとアメリカのペアファックスカウンティーはもちろんモントゴメリーカウンティー, アーリントンカウンティなどのアメリカの都市で大きく増えたことに集計しました。しかし、アメリカだけじゃなく、いろいろな子供の問題は大人たちの管理ないがしろによって起きます。 フェアファックスカウンティーの場合子供に暖房を提供しないとか適切な医療恩恵を受けるようにできない事例がおおよそ 52%も増えたことに集計されました。また子供虐待や管理ないがしろに指摘された事例は 23%も増加したし, モントゴメリーカウンティー 29%, アーリントンカウンティ 38% などで増えたことに指摘(してき)されました。
   子供の問題には色々な問題が全世界で起こってます。たとえば、教育、犯罪、栄養不足があります。特にアジアでは子供いじめ問題がより一層深刻な問題になっています。 いじめられる子供たちの 35%は議論(ぎろん)をする相手がいないと言います。 景気低迷によってより一層忙しくなった両親たちは子供達に関心を持つことができなくなります。子供達は大人たちの関心の中でもっと明るく育つことができると思います。
   大人たちが子供達を捨ておくとか精神的(せいしんてき)に苦しめる(くるしめる)ことが毎年 10‾20%ずつ増えて行ってます。 虐待場所は 80.9%で家が一番多いです。経済的に貧しい(まず)家庭(かてい)での虐待がもっとひどいです。子供虐待は暴力だけではない放任(ほうにん)することが一番多いです。子供に関心を持ってくれなくて親がご飯や服, 寝どこなどを取りそろえてくれないことも虐待です。 経済的に貧しい(まず)家庭で子供虐待がよく発生するということは社会と国家(こっか)が福祉(ふくし)にもうちょっと神経(しんけい)を使わなければならないと思います。
  世界多くの貧国(ひんこく)で 5歳未満の子供の中、 2億人が栄養不足で成長(せいちょう)不振(ふしん)を経験しているとユニセフが発表しました。 これらの子供の中、 90%がアフリカと南アジアに暮しています。 ユニセフは特に 5歳未満の子供の、 3分の 1 以上が栄養不足によって死亡(しぼう)すると言いました。ユニセフはビタミンを補って(おぎなって)くれて、多くの人達に子供栄養不足問題を知らせるために 6秒ごとに地球上の子供一人が死んで行く現実を知らせると言いました。
   子供を手伝える機関を作ります。たとえば、日本ではインターネットや携帯電話で子供と相談するのが全国にではじめました。NHKによると、子供ヘルプデスクは子供の悩みを無料で相談にのります ユニセフは国際的な機関や子供達を助けてあげるために色々な国の人々が一緒に参加しように手伝ってくれる機関(きかん)です。だから、ユニセフを通じて子供たちを助けることができます。子供は大人達が守らなければいけない存在と思います。そして誰よりも愛されて関心受けなければならない子供たちを虐待するとか気をつかわなかったら明るい未来が来ることができないと思います。

アレックス・ネルソンさん

熱帯雨林は残されるべきです

   どうして熱帯雨林を守らなければならないか。熱帯雨林を守ることは大事な社会問題なので、もっと学ぶべきです。たとえ私たちが知らなくても熱帯雨林は大事な事です。一つ目の理由は熱帯雨林をはかいすると地球温暖化にえいきょうをおよぼすことです。二つ目の理由は熱帯雨林をはかいすると動物や植物のせいそく地がおびやかされるからです。最後の理由は、人々が森林をばっさいするからです。私たちが熱帯雨林を守るためにできることをすることが大切です。
   第一の理由は、熱帯雨林をはかいすると地球温暖化にえいきょうをおよぼすからです。熱帯雨林をはかいすると未来の地球の機構が変わりますが、げんざいの機構もか変わります。あなたは熱帯雨林が地球の機構の全体をちょうせいする大きな役立わりだと言うことを知っていましたか。大きいはんいの熱帯雨林がはかいされた時、外国の気温が変わることに気づきます。アマゾンの熱帯雨林は地球のさんその20パーセント以上を作るので、熱帯雨林は「Lungs of the Planet」として知られています。熱帯雨林がはかいされた時、地球の大気中のにさんかたんそが作られて、おんしつこうかガスが増えます。このことは地球温暖化をスピードアップ させます。だから私たちはこれらの美しい熱帯雨林をはかいすることを止めるべきだと思います。
第二の理由は、熱帯雨林をはかいすると動物や植物のせいそく地がおびやかされるからです。たくさんの生物は絶滅危惧種になっていて、それから熱帯雨林をはかいするとせいそく地がはかいされます。熱帯雨林は世界のひょうめんせきの2パーセントをしめていて、その中に50パーセントぐらいの地球全体の動物と植物がいます。もし熱帯雨林のはかいが止まらなかったら、生物を永遠にうしなうかもしれません。それから熱帯雨林にはたくさんのせんじゅうみんが住んでいます。植物の面白い事実として、熱帯雨林から新しい病気の薬を作る事が出来ました。たくさんの人たちは熱帯雨林の植物ががんのちりょうに役立つと信じていますが、熱帯雨林がとても早く無くなっていっているので、私たちは全然分かりません。だから私は熱帯雨林を守るべきだと思います。
第三の理由は、人々が森林をばっさいするからです。 たしかに木のために熱帯雨林が切られていますが、その後土地はどうなるのでしょう。土地は農場に変えられています。南アメリカの土は農作物を育てるためにはよくないです。しかし、この新しい土地は農場にするにはさいてきで、かつて森があったので土地はとてもこえています。ただ問題として、数年使った後、土地が使えないようになります。だから土地をこやす変わりに、新しい農場を作るために熱帯雨林が切られています。これらの森を作るのに数百年かかるのでこれはうかつだと思います。私たちは遅くなりすぎる前に熱帯雨林を守る必要があります。
   私たちは熱帯雨林を守るべきだと思います。未来の世代の人々に楽しんでもらうために熱帯雨林を守ることが大切だと思います。熱帯雨林のミステリーは誰も知りません。

ケイラブ・ハービーさん

社会的な問題:引きこもり

   現代の日本の若者の間には、社会的に問題になっていることがあります。多くの高校生は人間関係のストレスをさけて外に出ず家の中にとじこもっています。このような学生は何年間もどこにも行かず、全然家から出ていません。このじょうたいを引きこもりと言います。
学生が引きこもりになる問題は日本だけではありません。ほかの国にも引きこもりがいます。例えば韓国やタイワンです。6ヶ月間社会に出ないでいつもしんしつにいたら誰でも引きこもりになります。私は、学生のごうかくについて社会がきたいするのをあらためなかったら、将来の日本の引きこもりのパーセントは増えると思います。
「Shutting Themselves In」と言うニューヨークタイムズのきじによると、引きこもりの例に27歳の日本人がいました。この人は14歳の時に引きこもりになって、それから13年間家から出ないで、テレビを見て、インターネットをやって、音楽を聞いていました。たいてい引きこもりの人は悲しみを抱えているので、悲しい音楽を聞いたり、悲しいテレビを見たりしています。
日本人の引きこもりの中で80パーセントぐらいは男です。たいていの引きこもり問題は男女の社会役割の差に起因しています. その理由は男の方が女よりも社会から受けるプレッシャーが大きいからです. とくにちょうなんのばあい、そのあっぱくはもっと強いです. 日本では一子供を一人だけ生んでそだてるかていがふえるているから、引きこもり問題がこれからもっとしんこくになるでしょう. すいけいによると100,000人から1,000,000人くらいの日本人が引きこもりです。1990年から、高校に行ってやめた学生はばいになりました。ですから、たくさん引きこもりを手伝う会社という現状があります。たとえば引きこもりの人を社会に出すために手伝っている「ニュースタート」というものがあります。それにインターネットで引きこもりの人を援助する医者もいます。
日本社会では、高校卒業の後も親が子をけいざいてきにしえんし、同じ家で生活するばあいが多いです。このようなかんきょうは子たちに高校卒業の後にも親にいそんしながら住むようにします. これは子供たちがいそんになって引きこもりになる理由の一つです. 私は時々、本当の問題は学生がお母さんと一緒にいすぎて、実の世界をおそれることだと思います。しかし、一番悪い問題はつうじょう日本人に対して社会が期待しすぎることだと思います。ごうかくするために日本人は忙しくなりすぎるので、生活の一番大切なことを忘れるのだろうと思います。たくさんストレスがありますからその選んだことはふけんこうだと思います。「みんな学生はずっと学校にいて、勉強するのは大切なことだ」と教えられていますが、なぜか分かりません。私は、いいせいせきのためにすごく働いて決める前に学生が実の世界について習うべきだと思います。
引きこもりの中にははんざいをやらかすばあいもあります. 例えば, ある引きこもりの人は 9さいの女の子をらちして、10年間自分の部屋にかんきんしました. このとうじ、このじけんはそうとうなちゅうもくをあつめました。このようにだいぶぶんの引きこもりのばあいが、しんりてきに多くのストレスを受けているように思われますが、それでもすべての引きこもりがはんざいしゃというわけではありません。いくつかのばあいはきょうはくしんけいしょうのため、ストレスをかいしょうしようとします。例えば, シャワーを一日に何回も浴びたり、さいきんをさけるためにてぶくろをはめて生活したりします.
社会からかんじる たがをはずしてのあっぱくかんが学生たちが引きこもりになるおもなげんいんでもあるが日本の学校やしょくばも一げんいんです. 日本では高校と大学入学試験がたくさん難しいから多くの学生たちがほうかごがくいんへ行くとかかがいを受けます. このようなたがをはずしてのきょういくねつから学生たちの受けるストレスがよほど高いです.

レン・ユーさん

中国巨大の格差

今、中国が急速に発展します。IMFのデータによると、2008年に、中国の国内総生産

(GDP)は世界第三位でした。それに、毎年、8パーセントぐらいの速度で成長していま

す。Onlineの資料によると、1978年の改革開放以来、中国で大きい変化が起きました。

最初は、現実派の邓小平は「四つの近代化」を出し、市場経済体制への移行を始めました。

農村では人民公社が解体され、経営自主権を保障し、農民の生産意欲が上がってきました。

そして、町は外資の利用が奨励され、深圳や上海や天津や広州沿岸部都市に経済技術開発

区が建てられました。華僑や欧米資本を中国に導入し、資本や技術を外国からもらいまし

た。1992年、再び改革開放が進められ、経済成長は一気に加速した。中国経済は「世

界の工場」と呼ばれ、生産大国になりました。それから、2001年には、WTOに参加

しました。2008年の北京オリンピックや2010年の上海万博開催を決定し、新しい

中国が世間に確かめさせます。

でも、輝きの裏で、ざまざまな問題が激流になりました。経済優先から、真の大国に向け

て、転換を経験している中国は、今最大の課程は広げされる格差です。豊かな人と貧乏人

の間に、越えられない壁を作りました。この作文は、日本放送協会(NHK)が作った「激

流中国」というドキュメンタリーを参考し、今中国巨大の貧富差について、このファイナ

ルプロジェクトを書きます。

二月、中国の富豪たちは一台6000万円のスーパーカーに乗り、北京の天安門の前に人

に見られました。その中、李晓华という投資会社社長は一日に1億円を稼げるそうです。

李は中国でフエラーリの車を買った第一人でした。今中国では、毎年100人の億長者が

新たに生まれています。

一方、8億人の農民の大多数は貧困から抜け出すのが背一杯です。農民工と呼ばれる、家

を出る農民は、町で仕事を奪い合います。故郷の家族への仕送りも時々届きません。農民工の大体は労力の仕事をやります。ある国家プロジェクトの工事現場で、杜文海という農

民工は土木工事用の敷物を運んでいました。一枚運ぶごとに、38円しかもらえません。

杜さんの年収はほぼ10万円です。そのほとんどは娘の学費と生活費ために、仕送りにし

ました。まずしい暮らしから抜き出すために、将来娘を大学に行かせたいと思うと言いま

した。杜さんは毎年の春節(Chinese spring festival)でわずかな何日ぐらい娘と会え

ます。杜さんは娘さんに何かプレゼントをしたいげと、町の玩具が高すぎるので、杜さん

は仕方がありません。

改革開放政策は、同時に中国社会に大きい矛盾を生み出しました。農村と都市、沿岸と内

陸、経済格差が拡大し、官僚の汚職や腐敗が深刻になりました。貧乏の人の悲しみが心に

感じています。その重さを全国民に伝えたいと思います。いろいろな問題があるげと、中

国はもっと明るい将来に向けて、少しずつ変わっていると思います。私も、これからでき
ることをがんばってしようと思います。

マデリン・セピースさん

飢え

   世界中に飢えは大切な社会問題です。最初にアメリカの飢えを議論します。私はぎもんと答えを議論します。次に、世界の飢えを議論します。そして、ぎもんと答えを議論します。飢えは大事な問題です。でも、いっしょに答えを見出しましょ。いしょに飢えを終えさせます。

   アメリカはとてもゆたかな国です。そうかと言ってたくさんの人はあまり食べ物を食べません。飢えのウェブサイトによると、百万人はくうふくでくるしみます。Mathematica-mpr.comというウェブサイトによると、アメリカに2500万人はじょりょくをようします。さもないと、くうふくにくるしますよ。せいふは、なるべく人をえんじょします。でも、せいふはとてもだれもえんじょできません。

   いっしょにアメリカ中飢えを終えさせましょ。じぜんだんたいはたくさんの人をえんじょします。でも、じぜんだんたいはお金を要します。それに、ボランティアを要します。ボランティアはくりやでほさします。そして、食べ物をよそいます。皆さんはボランティアすればいいのに。そして、じぜんだんたいにお金をあげればいいのに。じぜんだんたいをほさすればいいのに、それに、やさしいです。キャンパスにたくさんはこがあります。はこに食べ物をほどこします。そして、ウォルマートにもはこがあります。ウォルマートで食べ物を買ってじぜんだんたいに食べ物をあげます。いっしょにアメリカ中に飢えを終えさせましょ。そして、飢えた人々に食料をあたえましょ。

   世界中に飢えは大事な社会問題です。世界では多くの人が飢えています。たくさん子供は飢えでとまります。Worldhunger.orgという世界に飢えのウェブサイトによると、1子供に3子供がせいちょうしません。それに、1子供に3子供が飢えでしにます。何千という人が飢えでしにます。8おく以上の人飢えにくるしみます。それで、世界中に飢えは大切な問題です。

   世界中に飢えは大きい問題です。でも、いっしょに飢えの人をほさしましょ。たくさんじぜんだんたいがあります。そして、このじぜんだんたいは飢えの人をほさします。でも、このじぜんだんたいはお金とボランティアを要します。ボランティアになるは大きいコミットメントがあります。でも、ほさするのはやさしいですよ。たとえば、皆さんはじぜんだんたいにお金をあげればいいのに。世界に飢えのウェブサイトでじぜんだんたいにお金をあげました。たとえば、ユニセフにお金をあげればいいのに。そして、皆さんは一子供をほさします。飢えの子供をファンドします。そして、子供におかねをあげます。ですから、子供は食べ物を買います。世界に飢えは大きい問題です。でも、いっしょに飢えを終えさせましょ。

   飢えは大事な社会問題です。アメリカはとてもゆたかな国です。でも、アメリカでは多くの人が飢えています。それに、世界中に何千という人が飢えでしにます。それから、飢えは大きい問題です。でも、いっしょに飢えを終えます。たくさんじぜんだんたいがあります。皆さんはじぜんだんたいにお金をあげましょ。それに、ボランティアしましょ。いしょうに飢えた人々に食料をあたえりましょ。

タナタナウィン・リンさん

たいぶつ

近頃アメリカの若者はますますはんこうてきになっています。彼らは両親、先生や年上の人にそんけいをしめすことなく口ごたえをします。たいばつにはマイナスのえいきょうがあるとしゅちょうする者もいます。そして、大人は子供のかんじょうをきずつけたくはありません。それで、法規と家の規則はゆるくなりました。でも、これがげんいんで、若者はよくさからいます。私は一番いい答えはたいばつだと思います。

小さい子供にはけいくたたくぐらいのたいばつがちょうどいいと思います。私はけがをさせるようななぐるなどのたいばつにははんたいです。彼らをよくするために少しこわがらせることがもくてきできずつけることではありません。たいばつによって彼らに彼らのちいは両親、先生、年上の人より下だと教えることができます。

教学の専門家は、学校で、勉強ことために、ごほうびのほうがこうかてきだと言います。ごほうびがある時に、生徒は熱心にはたらきます。そのけんにかんする問題は、先生はごほうびをいつもあげることができないことです。生徒はどりょくといい成績が本当のごほうびだということを知るひつようがあります。 でも、子供はたいていそういう勤勉さについてぜんぜん気にしません。彼らはまだ若く規則も知らないので、いいことよりも悪いことします。 なので、両親と先生はきびしいするひつようがあります。本当にのうりょくのある先生だけが小学生を教えるべきだと専門家は言います。そうすれば先生たちは子供たちにどうたいしょしたらいいか知ることができます。そのやり方は生徒たちをせいしんてきに傷つけるやり方ではありません。でも、いい先生がいますが、どうして生徒はまだそんけいしんがないのですか。子供たちをまちがった行動をさせないやり方があるのに私がアメリカでのきょういくを見る限りあまりそれは生かされていません。

人々はいたみやはじをおそれます。このおそれが若者をせいぎょふのうにしています。これは私たちのれきしでも同じことです。人々は刑を受けることやはじを受けることをおそれ、人々はどうどうとは人を殺したりぬすんだりまちがったことはしません。なので、子供の時に、この考えを教えるべきだと思います。ご両親はとっけんを使うことができます。例えば、父はティーンエィジャに「家に出てはいけない」ということができます。彼らはただ単に歩いて出ていけばいいのです。もしたいばつがあれば、彼らは恐怖心から言うことを聞くようになるでしょう。

たいばつは生徒に大きなあくえいきょうを与え学習をさまたげるおそれがあるとある専門家は言います。私はそれは違うと思います。一つの例として、アジア人は誰よりもたいばつをもちいます。しかしアジア人はマナーが良くしつけもよい人たちです。

子供が大きくなるとたいばつはきかなくなりさらに強いたいばつが必要になると考える人もいます。でも、若い時から、ご両親や先生はさほうときそくにきびしいだったら、子供はいい人になると思います。そのためには両親は最初からきびしいたいどを示さなければなりません。両親は彼らがリーダーであるということを示すことがひつようです。私はたいばつは若者をしつける上でいい方法だと強く思います。しつけはぎゃくたいとは違います。両親と学校の先生がもっときびしいたいどをとることができるようになれば、次の世代の若者たちはもっと人をそんけいするようになるでしょう。

アイドン・ウォンさん

公共交通の使用

私は皆さんがもっと公共交通機関を使うべきだと思います。自分の車を持つのはいいですけど、バスや電車を使用するほうがいろいろと便利があります。まず、公共交通はやはり便利です。たまに旅行や遊びに行く時に自分は車があったらもっと自由がありますが、研究によると、普通毎日仕事や学校に行って、そして帰る時はバスや電車を使うほうがいいと思う人がたくさんいます。公共交通機関を使うと、自分が運転する必要はなくて、すぐ目的地に行けるので、とても便利です。第二に、たくさん車を使うより、公共交通を使用するほうが環境にいいです。皆、公共交通を使って車の数が少なくなったら、空気に出されるガスや二酸化炭素のような排出も少なくなります。汚染と公害をなくして、環境を良くします。第三に、町によって、もっと大きい公共交通機関があれば、景気もよくなるチャンスが来ると思います。便利な公共交通機関があったら、その町に住むのようになる人がもっと増えます。公共交通機関を運転(*)するために人は必要だので、こうしてもっと仕事が出てきます。そして行きにくい所に公共交通があれば、土地と屋敷の価値が上がるはずで、駅のような人気ある場所で商売も盛り上がるはずです。第四に、自分の車より、公共交通のほうを使用できる人がもっといます。なぜなら、車の運転方法がわからない人や、運転できない若い子供と年輩の人達や、運転免許がない人や、車を買えない人がたくさんいます。ですが、そんな人たちは、皆がバスや電車のように公共交通をいつでも使用できるので、とても便利です。第五に、公共交通を使えたら、交通渋滞という問題もなくなるもかもしれません。道や道路にもっと車があれば、必ずもっと交通渋滞が起きます。けれど、皆、車を使わなくてバスや電車に乗れば、道路で運転してる車の数が少なくなってもっと早く目的地に到着できるはずです。第六に、どうみても、車を持つより、公共交通を使用するほうが安いです。ある研究によると、アメリカのファミリーは毎年一台の車に四千ドルかかって、大きい車のほうは九千ドルもかかります。でも公共交通を使えば、毎年の費用は二千ドルしかかかりません。それは普通のファミリー、特に若い人達には、大変な節約です。節約といえば、公共交通を使用する最後のいい事は、エネルギーの節約です。車がたくさんあると、必要なガスは希少価値が上がって値段が高くなります。エネルギーを節約するために、やはり公共交通を選ぶほうが正しいと思います。
この七つの理由があるので、私は皆さんがもっと公共交通機関を使うべきだと思います。

2009年11月4日水曜日

ミサ・パークさん

キャンパス内の前面禁煙

   高校の時は違い大学ではタバコの制限がないです。それに大学生達は18歳以上なので自由にタバコが買えます。このようで大学キャンパスでタバコを吸う人をたくさん見られます。キャンパスで通ってみると 30-40%はタバコを吸っています。タバコを吸っている人のそばを通り過ぎる時タバコにおいをかぎて咳をする時があります。タバコを吸わない人には迷惑になります。もし人々が込んでるキャンパスではない外でタバコを吸ったら確率的でもタバコを吸わない人に迷惑を少なくかけるようになるでしょ。一番重要なのはキャンパスはすべての学生のための場所だからタバコを吸わない人々の立場を思ってくれなければならないと思います。それでキャンパス内での全面禁煙に賛成です。
   タバコはかつてから身に悪いもので知られています. タバコのせいで多い人々が病気にかかって死んだりします. キャンパス全面禁煙を失行したらタバコを吸う人達が減らすと思います。そしたらキャンパス全面禁煙でよって少しでも学生達の健康を守れます。ある記事に載せられた内容によればタバコは特に学生たちの頭の回転を遅くして間接喫煙は直接喫煙よりも悪い影響を与えると言いました。間接喫煙は普通に経験できます。キャンパスで間接喫煙することがほとんどなのでタバコを吸わない人にはとても迷惑だし、不平等だと思います。たとえば、私はCL50とかビアリングホルーで授業がたくさんあってよく行きますが、授業の前と授業が終わってから建物を出ると、建物の前でタバコを吸う人たちのせいでいつも煙が私の服に着いたりにおいがしてから頭が痛くなることが時々あります。
   吸殻はキャンパスを非常に汚します。キャンパスを歩いて見れば地面にすっかり吸殻たちが散らばっています。 キャンパスあちこちに灰皿があると言ってもキャンパスはとても広いから多くのゴミ箱が役に立つことができません。学生たちは誰もきれいな学校がほしいです。学校が汚ければイメージもよくなくなって気持ちを不快にさせます. きれいで良いにおいがする学校を皆が選好します。
   キャンパス内の全面禁煙は多角的にメリットが多いです。喫煙者に不便することはできるがキャンパスから外に出やすいし、学生達も喫煙を減らすことができるようになると思います。キャンパスでの禁煙を実行させたら初めには困難があるかも知れないが学生たちも時間が経つほど慣れるでしょう。もうちょっときれいで良い環境を作るためにはあらゆる人たちの努力が必要だと思います。

タナタナウィン・リンさん

公共交通機関を使うべきた

私は「キャンパスで公共交通機関を使うべきた」というろんだいでこうてがわりつろんを始めたいと思います。そのりゅうとして 第一に、たくさん車を使うなら環境は悪いになります。第二に、公共交通機関の方が車より安いです。第三に、公共交通機関も便利です。第四に、公共交通機関は乗んでもだいじょうぶです。という四点があります。

まず、たくさん車を使う時、環境は悪いです。毎日たいりょうのカールボンダィオクサィド(carbon dioxide)が生成されています。これらのガスはグロボルワミング(global warming)をもたらしうります。グロボルワミングは人も動物にもしんこくな問題を引き起こしています。それで、私たちは環境をまもりましょう。そして、車を使うは少ないなら町の空気はきれいになります。

次に、公共交通機関の方が車より安いです。皆さんは車があるなら、駐車場のスペースがあります。とてももったいないです。そして、このスペースは高いです。パデューで、
C-Garage Permitは250ドラです。でも、バスはむりょうです。次に、ガスも高いです。今ガスは三かドラです。でも、公共交通機関を使うなら、ガスを買わなければなりませんです。

次に、車を少し使うならトラフィク(traffic)がありません。トラフィクがない時、うるさい楽もありません。バスに乗る時に、ここから、あそこまで、短時間までできます。そして、トラフィクがありませんから、バスはいつも時間通りに着きます。

最後に、たくさん人は「バスで病気になり安いです」言いましたが、しかし、それは間違いなのではないでしょうか。クラスとPMUなど人も多いですから、そのところで病気になり安いです。そして、クラスに行く時、病気人の近くに、座わらなければなりません。そして、何か人はとつぜんに病気になる、たくさん人がいました。その人は手伝う出来ます。

私は公共交通機関を使うべきだと思います。公共交通機関を使うなら、環境をよくなると、お金をためると、トラフィクはへるです。いじょうのことから、私たちは「自分の車ではなくこうきょうこうつうきかん(バスや電車など)を使うべきた」とかんがえます。バスと自転車も電車もいいですよ。それで、いしょうに公共交通機関使いましょう。

ケイラブ・ハービーさん

キャンパスにあるタバコについて

大学生はキャンパスでタバコを吸うべきではない」という論題について、私は同じます。タバコでは記念するのがいいと思います。たくさん吸う人は違うことがいいと思うかもしれません。
私はこの論題について三点があります。第一のはタバコは学生の体にとても悪いです。たくさん学生達はわかくて、病気になりにくいだと思います。この学生は体やきぶんを思わないでよく吸います。Cancer.orgによると、毎年4万6千人の人たちはタバコと関わっているせいで、亡くなっています。そしてによると、タバコを吸うと息がくさくなるし、よくせきもします。
第二のはタバコを吸わない人たちには迷惑です。キャンパスでたくさん吸いたくない人がいます。いろいろな学生はとても悪いぜんそくもうありますからタバコのけむりは息をしてはなりません。このようなことはぜんぜんしとうじゃありません。気分がもう悪い人はいろいろなクラスでざいりゅうできません。
第三のはタバコを吸いがらがキャンパスをよごすと言う点です。キャンパスと歩いていながらたくさんタバコのがらを見えます。タバコのぐみばこがありますがほかのところにはぐみばこよりがらがたくさんあります。キャンパスですむとりやきねずみはがらを食べられます。そしてキャンパスではたらく人はがらを取るのはたくさん時間がかかります。
この三点で、 「大学生はキャンパスでタバコを吸うべきではない」と言う論題で私は同じます。

エリック・リゴンさん

公共交通機関

私は「公共交通機関を使うべきだと思いる」という論題で肯定側六論を始めたいと思います。その理由として、公共交通機関を使って、便利だし、安いし、単純です。という三点があります。

まず、公共交通機関を使うべきだので、便利です。すべての都市は公共交通機関があります。都市はタクシーがあります。タクシーはときどきどこでもに行きます。タクシーは高いことができるでも、あなたは運転をしないです。バスと電車は小さいの町から都市までに行くことができます。公共交通機関はいいので、人はかるまがあるないです。いつ、どこでも二生きないので、かるまがありません、公共交通機関を使います。

次に、公共交通機関を使うべきだので安いです。ガスは高いので、公共交通機関を使って安いです。バスの定期券はたいてい一回の手数料を払います。バスの定期券はたいていやすいです。ラファイエットでは、バス学生には無料です。公共交通機関を使うと、あなたのかるまで運転をしないです。

さいごに、公共交通機関を使うべきだので単純です。バス会社はスケジュールがあります。スケジュールはやさしいや単純です。バスはどこでも停止します。公共交通機関を使って環境を守ることができます。公共交通機関を使うたしか環境を守ることができます。

公共交通機関を使うなるべく毎日で使います。公共交通機関を使う時にお金をせつやくて、旅行が簡単た、環境を守ります。

アダム・シェイドさん

公共交通機関

 パデュー大学の公共交通機関はたくさんの学生にとって便利なものだと思います。もちろんパデュー大学の公共交通機関無料し、チャンパスのルートがたくさんあります。けれど私が公共交通機関を使うことでいくつかの疑問があります。そして、その疑問でパデュー大学の公共交通機関を使うべきではないという意見に賛成しています。これから、その疑問について詳しく説明したいと思います。

 まず、 公共交通機関は時間的に良くないと言う点ですが、やはりバスの予定があってもその予定に従うと約束していません。なぜかと言うと、バスは急が忙しくなると遅く着く時はあります。人がバスに乗って、降りるのせいで予定とおりに着きません。そのうえ、バスはそんなに忙しくなくなると早く着く時もあります。人がバスに乗っていないし、止まる必要がないので予定とおりに着きません。つまり、いつでもバスがいつ着くか分かるのはなかなか難しくて、大変なことです。私は何回も朝早く起きて、バスに乗ろうと思って、待ったことがあります。時々バスが来なくて、授に遅れていて、大変でした。

 次に、バスは汚い所と言う点についてなんですが、一日人がバスに乗ったり、降りたりするので、バスの中に色々なばい菌が人から出ってきます。毎日、そう言うばい菌が空気に入って、息を吸うと病気になりやすいです。最近、バスにHand sanitizerがありますが、それを使ってもかぜをひくことが出来ます。ただ     Hand sanitizerが手をきれいにするだけです。人が咳をして、くしゃみをすることでかぜをひくことが出来るのでバスの中に気をつけないないといけません。

最後に、バスのルートが不便と言う点ですが、その理由は片道のルートだからです。チャンパスのルートは特に大変です。たとえば、パデューUnionから物理学のビルにバスで行きたいと思ったら、10分もかかります。でも歩けば5分しかかかりません。時々行きたい所に行くために長いルートでバスに乗らないといけません。これはキャンパスのルートだけではなくて、他のルートも影響を受けています。なぜなら、バスは回り道をするからです。

以上のことから、パデュー大学の公共交通機関を使うべきではないと言う意見を賛成します。そして、バスに乗る代わりに自転車や車を使えばもっと時間を大切にすることが出来るし、病気になりやすいとことをさげることも出来ます。キャンパスのバスはたまに便利だと思いますが、たいてい不便で時間がかかります。

レン・ユーさん

私は「キャンパス内での全面禁煙するべきだ」という論題で反対意見を持っています。その理由として、この三つがあります。
第一に、今の経済状況はキャンパス内での全面禁煙するの余裕がないと思う。
第二に、キャンパス内での全面禁煙するのは、実行的にすれば、とても難しいと思う。
第三に、タバコを吸っている人に差別になると思う。
という三点があります。
まず、今の経済状況はキャンパス内での全面禁煙するの余裕がないという点ですが、キャンパス内での全面禁煙すれば、たくさんタバコをすっている人がタバコを吸わないになります。このWest lafayetteに、タバコを売る人達にとって、商売ができなくになります。その人達は職業がなくなり、社会の不安定分子になります。例えば、その人達はお金がないから、お金を盗むことや人を殺しことや家に火を付けることをよくするになります。経済も悪いのに、キャンパス内での全面禁煙するのは、経済もっと悪くになります。そして、不安定分子がどんどん増えて行ったら、国にはいいことじゃないです。
次に、キャンパス内での全面禁煙するのは、実行的にすれば、とても難しいという点ですが、キャンパスがとても広いので、キャンパス全域で有効な監視機能がありません。ビルの中には、Smoking detectorがありますが、そとでタバコを吸えれば、誰がとめさせますか。例えば、ビルの中に、タバコを吸うと、Smoking detectorがなります。でも、そとでSmoking detectorを置ければ、お金がかかります。罰金をするという意見がありますが、キャンパスでタバコをすっている人を捕まるのは難しいと思いました。例えば、タバコを吸う時、大きい木や建物や車をカバにすれば、パトロルの人は捕まりにくいと思います。それに、キャンパスでタバコをすっている人を捕まるのため、パトロルの人に給料を払わなければいけません。バランスを取るのは難しい。無理に実行すれば、授業料がまた上がると思います。どう考えでもとめる方法を実行すれば、無だのお金がかかります。
最後、タバコを吸っている人に差別になるという点ですが、ここは自由な国ので、人は自由にタバコを吸うの権利があります。ビルの中には、タバコを吸ってはいけないのを納得できるですけど、キャンパス全域で禁煙するのは自由に挑発することじぁないですか。私はタバコを吸わないです。しかし、キャンパス内での全面禁煙するのは人の正常な権利を奪うことしか見えません。以上のことから、私は「キャンパス内での全面禁煙するべきだ」という意見に反対します。

ピーター・ストックウェルさん

   私のダバェートのトピックは「キャンパスで全域禁煙するべきだ」と言う論題で否定側立論を始めたいです。でも、私はこのトピックで肯定を始めたいと思います。毎日、毎日、キャンパスでたくさんタバコをすう人が見ます。たくさん人はけぶのアレルギーがあるから、キャンパスにたくさんすう人がいるのば、とても便利じゃないです。そして、病気になるので、クラスにむずかしになります。そして、キャンパスで全域禁煙してはいけないので、タバコをすう事になります。だから、いつもタバコをしてはいけません。タバコをすうから、たくさん人病気になります。いろいろがんをもらいます。はいがんをもらえたり、しんしっがんをもらえたりします。そして、たくさん人はアスマがありますので、タバコがとても、とても悪いです。
   大学がとてもたかいので、大学生はたくさんお金がありません。でも、タバコをすう事がとても高いです。そうですから、キャンパスで全域禁煙すれば、タバコをすう人がてつだいます。そして、パーデュー大学はようですから、キャンパスで全域禁煙することをきめれます。キャンパスでたくさんすいがらを見るから。そして、パーデュー大学の生ととファカルティがゆうがいむえきしますから。そうですから、パーデュー大学はその人を守るがぎむがあります。
パーデュー大学の喫煙ルールがあります。でも、そのルールーはたくさんもんだいをとけません。たとえば、たくさんタバコをすう事が火をはじめます。だから、たばこをすってはいけないところはセーフです。そのところで、みなはいつもびょうきになりません。そして、タバコの買うことがさがります。だから、タバコをすう人の体が元気になります。だから、いつも病気になりませんから、毎日クラスに行ったり、しゅうくだいをしたり、アルバイトがあたり、うんどったりします。そして、キャンパスできんしするのはじっこうするのはかんたんじゃないですけど、学生の体とファカルティの体がとてもたいせつですね。そして、キャンパスのけいさつは全域禁煙する事のじっこうできます。そして、時々きびしいルールーがある時、人はタバコをすう事をとだえります。
私は「キャンパスで全域禁煙するべきだ」と言う肯定を始めたいと思います。みなの体のために、じっこうしますから。体がいろいろな病気をふせいだり、
たくさん人をてつだったり、キャンパスがきれいになったりします。たくさんの学生の体より人はタバコをすう時がすこし便利じゃない事のほがたいせつですか。私は学生の体の方がたいせつだと思います。

アイザ・ファンさん

  私はキャンパス内での全面禁煙について大賛成です。なぜかと言うと、私はタバコの事が大嫌いだからです。タバコの匂いとタバコの煙も嫌いですが、なによりも間接喫煙のアイディアが一番腹が立ちます。自分自身タバコを吸いたいなら問題はないが、周りの人達に迷惑をかけるのはいけないと思います。私は長年なぜ人達はタバコを吸うのかと思いました。そして私の知り合いの中でタバコを吸う人がいましたから聞いてみました。
  「タバコは体に悪い上に人に迷惑だよ。なぜタバコを吸うの?」と私は聞きました。「それは簡単だよ。タバコを吸うとかっこいいし、みんな吸ってるから仕方ないよ。」と知り合いが答えました。なんてひどい答えだと思いました。まだこんな馬鹿な理由でタバコを吸う人がいるのかと考えると、ちょっと悲しいです。
  まずなぜ私がタバコの事が嫌いだと言う意見について説明します。一番分かりやすい理由はタバコの匂いと煙が嫌いだからです。普段タバコを吸う人にはわからないかもしれませんが、タバコの匂いと煙はタバコを吸わない人達にとってはとてもきつい匂いなのです。煙は目に入ると痛いし、息をするたび慣れてない煙混じった空気を吸わなければならない。この煙を吸う感覚がとても嫌な感覚ですし、肺や鼻がかゆくなり、よくセキもするようになります。
  それに間接喫煙の問題ですが、私は自分の体に気をつかって健康でいたいと思っています。ですが、タバコを吸う人達が私の周りに吸うと私の体に被害ですし、無理やり私に煙を吸わせてるに違いがありません。体に悪いついでに、タバコにはもう一つの問題があります。それはポイ捨ての問題です。キャンパスでは灰皿がありますが、灰皿の隣に吸っていない人達は地面に吸殻を捨て、キャンパスを汚します。
  キャンパス内で全面禁煙をすれば、タバコの事には気にしなくていいし、私はとても喜びます。しかしタバコを吸う権利は誰でもあると思いますし、ただ全キャンパスを禁煙にするのは無理な話ですし、タバコを吸う人達には不公平だと思います。私が日本に行ったとき、よく喫煙室が駅の中や大きいデパートにありました。パデュー大学にもこんな所を作ってみればどうかな、と思ったことがあります。よく学校のビルのドアの近くに吸ってる人達を見かけますが、こう言う喫煙室を何室かを作ってキャンパス中に置けば、タバコを吸う人達が集まれるところができますし、ビルの前に群がらないし、間接喫煙の問題も減ると思います。
  ですから最終的には、私はタバコを吸う人と吸わない人がお互いの権利と立場を尊重し、できるだけ両方側がキャンパスで一緒にいられることが一番大切だと思います。

ケリー・ファンさん

私は公共交通機関を使うべきだと思います。公共交通機関の社会、環境、と経済的必要があるので、特に使う必要がないと思いますが、もっと使うはいいと考えます。
公共交通機関の意味を説明します。公共交通機関はたくさん人々が利用する交通機関です。たとえば、地下鉄とか、バスとか、乗り合わせるなどは公共交通機関です。どうして使うことの方がいいか、今説明します。

まず、「オート依存」という社会問題があります。たとえば、子供とか老人とか俳人やどこも行きたいのに、運転をできません。公共交通機関があらないなら、その人はどこにも行けません。それから、運転する時、通りを留めなければなりません。でも、バスを乗る時、ハンドルをしないから、話すこととか宿題をする事などをできます。特に、パデューはとても小さい町から、所は少ないし、公共交通機関は面白く便利な所も行けてあるから、なぜいつも車を使いますかと思います。

それから、汚染が世界を傷つけています。たくさん車を使うのは一つ汚染源で、車が多ければ多いほど、汚染があります。パデューはもうりっぱじゃなくて、大気汚染があれません。ますます多くの人々は公共交通機関を使うなら、通りの車が少なくなった、交通量を少なくなって、汚染も少なくなります。それから、パデューはハイブリッドバスがあるから、ガスではなく電気を使う、空気はきれいになれます。それに、2002のアメリカン・エントプライス・インスティテューションの研究によると、車はバスより一酸化炭素を作ることは多くて、バスのガス油は車のガス油の二分の一です。元はと考えれば、公共交通機関より旅客制限が多いから、スケールメリットがあって、ガスの費は皆を割りたら、車の旅客のガス費はより高いですよ。

公共交通機関の費は安いから、お金がない人も所に早く行けます。それに、運転するなら、たくさんお金を払わなければいけません。たとえば、パデューのパミットはとてもたかいで、C-パミットは二百ドルです。そして、キャンパス身許があるなら、バスの乗ることは無量です。

でも、「公共交通機関ばかりを使うべきた」と言いません。乗り合わせることもできます。乗り合わせるは英語のカーポオルです。友達かルームメートかといっしょうに車を使うなら、以上のメリットもあります。それから、時々自分の車を使うことと歩くこともしなければらりません。私は「車を使わないの時、もっと公共交通機関を使ってください」と考えます。

マデリン・セピースさん

公共交通機関

    自分の車ではなく公共交通機関(バスや電車)を使うべきたと思います。公共交通機関の方が車より安いです。そして、たくさん車がありますなら、たいへんなおせんを引き起こしています。それに、とおりは車でじゅうたいしてきました。公共交通機関はふけんこうじゃないです。それに、公共交通機関は便利です。ですから、公共交通機関を使うべきたと思います。
まず、公共交通機関の方が車より安いです。ガスを買うことはすくなくなります。それから、たくさんお金はらわなければいけません。たとえば、パデゥーのパーキングパミトは徒でも高いです。cパミトは二百ドルです。それに、車のメンテがとても高いです。それに、キャンパスのバスはむりょうです。そして、公共交通機関の方は車より安いです。
次に、たくさん車がありますなら、たいへんなおせんを引き起こしています。私達はおせんら環境をまもらなばなりません。車を使うのはすくないなら、このまちの空気はきれいになります。そして、パデゥーはハイドバリドバスがあります。それで、公共交通機関が一番いいでしょう。
キャンパスにはちゅうしゃじょうがほとんどなく、しんこくなもんだいになっています。たとえば、毎日パデゥーのキャンパスでじゅうたいしました。みなさんは公共交通機関を使いなら、とおりはじゅうたいしません。
    公共交通機関はふけんこうじゃないです。キャンパスにたくさん人がいます。ですから、PMUやたくさん教室がこみます。そして、病気になりやすいです。でも、バスはハンドサナタイザーがあります。それに、病人は外に行かなければなりません。そして、公共交通機関はひけんこうじゃないです。
    最後に、公共交通機関は便利です。パデゥーはたくさんバスがあります。バスはたくさんスタプがあります。そして、バスはウエブサイトがあります。それに、ウエブサイトにバスロウトとスケジュールがあります。バスはキャンパスやまちにのります。車はブレークダウンかもしれないです。車はブレークダウンしたら、あしをうばわれます。でも、バスはブレークダウンしません。バスはブレークダウンしたら、あしをうばわれません。新しいバスを行きます。ですから、公共交通機関はとても便利です。
    公共交通機関は安いや便利です。ガスを買いません。そして、あしをうばわれるなりません。ふけんこうじゃないです。車は高いです。そして、車はおせんをけがします。それに、とおりは車でじゅうたいてきました。ですから、公共交通機関は一番いいです。

アレックス・ネルソンさん

全面禁煙

   タバコを吸う事はよくないことなので、大学生はキャンパスでタバコを吸うべきではないと思います。私は三つの理由があります。一つ目は、タバコは学生の体に悪い事です。二つ目はタバコを吸わない人達には迷惑だと言う事です。三つ目はタバコの吸いがらがキャンパスを汚すという事です。
タバコは学生の体に悪いと思います。学生はタバコを吸うと色々な病気にかかります。例えば、はいがんやぜんそくにかかりやすくなります。そして、ふくりゅうえんは学生の体に悪い事です。タバコを吸っていない人は、ふくりゅうえんを吸いたくなくなくても吸ってしまいます。ふくりゅうえんによって病気にもかかります。タバコを吸いたくない人まで病気にかかってしまうので、このことは不公平だと思います。このりゆうによってはタバコを吸うべきではないと思います。この事から、私は「タバコは学生の体に悪い事」だと考えます。
次に、タバコを吸わない人達には迷惑だと思います。キャンパスは学生が集まる場所なので、タバコを吸わない人達のまわりで吸うのはいけないと思います。 なぜかと言うと、吸いたくないけむりやにおいをむりやり近づけるのはいけないと思うからです。時々、タバコのけむりで私は頭痛がします。この事から、私は「タバコを吸わない人達には迷惑だと言う事」と考えます。
最後に、タバコの吸いがらはキャンパスを汚すと思います。キャンパスを歩いているとじめんにたくさんの吸いがらが落ちています。外にあるはいざらもありますが、一部のタバコを吸う人達はめんどくさくてはいざらに吸いがらを入れません。その人達は最低だと思います。タバコの吸いがらやゴミを捨てる事は難しい事ではないです。この事から、私は「タバコの吸いがらがキャンパスを汚す事」と考えます。
私は、なぜその人達が最近のタバコのほうさく続けたいのか分かりません。その人達はタバコを吸うなと言うことはルールにはんしていると言います。新しいほうさくはタバコを吸うなと言わないけど、キャンパスでタバコを吸うなと言います。そして、パデュー大学の学生はルールにしたがわなければいけないです。キャンパスにいる時タバコを吸わない事は難しい事ではないです。セルフコンとロールがあります!
タバコは学生の体に悪い事や、タバコを吸わない人達には迷惑だと言う事、タバコの吸いがらがキャンパスを汚す事によって、私は「大学生はキャンパスでタバコを吸うべきではない」と考えます。

アレックス・スミスさん

公共交通機関

   私は多くの人達は公共交通機関を使うべきだと思います。なぜなら、公共交通機関はとても便利な物し、公共交通機関の使う値段は車を運転するの値段より安いし、多くの人は公共交通機関を使えば少ないおせんを作ります。
まずは、公共交通機関は便利な物ですが、人達はバスとか電車に乗れば、自分で車を運転する事は必要はありません。車を運転すれば、場所を着いた時にいつもどこかで車を駐車しなければなりませんが、バスとか電車に乗れば、駐車するのは問題になりません。皆は車を運転するのはたくさん交通があって、とても困っています。でも、人達はバスとか電車に乗れば、道路に車の数は少なくなります。ですから、所に着く時間は下がります。電車の場合は車より長いきょりはたくさん早いです。バスや電車に乗る時に自分で何もしなくてもいいから、リラクス事出来ます。
次に、公共交通機関の使う値段は車を運転するの値段より安いと書きました。へいきんでは、新しい車の価格は二万ドルです。それに、古い車の価格は五千から一万ドルですので、車を買うのは高いです。車を買えば、インシューランスも買えなければなりません。そして、時々ガスも買えなければならないから、くるまを持つのはとても大変と思います。大体バスに乗る価格は一ドルだけですし、パデュー大学の生徒なら、ウェストラファエット内にバスに乗る事は無料です。
最後に、皆は車を運転すればたくさんおせんを作ります。毎朝多くの人達は仕事やキャンパスやどこかへ車で行きます。そして、毎晩その人達は車で家に帰ります。人達はいつもどこかへ行かなければなれませんので、車をたくさん運転します。その運転するの事はたくさんおせんを作ります。おせんのせいで地球は少し大変になりました。車は四人や五人しか乗りませんけど、一つのバスは五十人以上に乗る事を出来ます。あの事から、多くの人達はバスに乗れば、おせんの量が少しずつ下がります。今の時代に皆は「ゴーグリン」と言いますから、バスや電車に乗る事に興味があるはずと思います。
   以上の事から、私は多くの人達は公共交通機関を使うべきだと思います。公共交通機関は便利し、安いし、そして車より地峡のためいいです。私の場合は、毎朝バスでキャンパスへ行く、それから毎晩バスでアパートに帰ります。週末だけに車を運転しますから、私はたくさんお金をほぞんします。スケジュールは少し変わってかもしりませんが、効用交通機関の良い点がたくさんあれいます。皆さんぜひ公共交通機関を使ってみて下さい。

ケリー・ファンさん

私の家族は毎年の夏休みに外国に旅行をしていました。私はまだ高校にいたの時、親戚関係とトルコのイスタンブルに行きました。とても楽しいでした。

ある日、たくさんものをして見ました。朝、ボスフォルス・ブリジを渡りました。あの間に、欧州から中東まで3分かけてに行きました。欧州のトルコは教会が多いなら、中東のトルコはモスクも多いです。モスクを回ったの前、グランド・バザーという有名なの大きい市場に訪れました。全部の食品は生きのいい食品から、おいしいそうですから、その所で昼ご飯は珍海鮮を食べました。

トルコはりんごのお茶とヌガーは有名の食べ物から、昼ご飯を食べた後で、私達は市場に全部見に歩いて、帰ったの友達のプレゼントを買いました。食品があるにも変なものもあります。行李は大きくなかったなら、たくさん変な死物を買ったと思いました。

グランド・バザーを見た後で、ソルタナーメット・スコヤに行きました。ソルタナーメット・スコヤは歴史上のイスタンブルにいって、たくさん歴史上の名所を見物しました。子供はアイスクレームをたべていった、それと同時に私達スコヤに歩き回りました。まずハギャ・ソフィヤというモスクに行きました。そのモスクは初めは有名な教会でしたが、トルコはムスリムを征服された後で、モスクに変わりました。私は高校の世界史クラスに習ったの歴史上の名所をみた、本当にきょうくしました。

次に、ブルー・モスクとトップカキ・パレスに行きました。その間に、全部のモスクは同じそうだから、すぐ近くのバシリカ・シスタンに入りました(日本語はイスタンブル地下宮殿です)。シスターンは日本語は水桶の意味です。でもその水桶はとても大きくて、岩屋っぽいと思いました。二十一百万ガロンの水を入れました。それから、「007ロシアより愛をこめて」というジェームズ・ボンド映画シリーズにありました。このシーンは、ケリムはボンドを船に乗せる、地下貯水池をソ連領事館の真下まで案内しました。とてもかっこいでした。

バシリカ・シスタンは地下と暗いから、寒いだった、長くいないでおきました。あの日、私達を歩きすぎだったから、早いお腹が空きました。トルコの焼き肉も有名らしいだったから、レストランは無作為に抽出されました。あのレストランはケバブは意外においしかったです。私の家族は肉が大好きから、たくさん食べました。あの時は週間に一日だけで、たくさんすることをしました。結局、あの旅行はとても楽しかったです。

2009年10月31日土曜日

ピーター・ストックウェルさん

   目覚ましを鳴っていますので、私は目覚ましを見ました。
   私は「大変だ!八時!七時目を覚まったべきだ。授業におくれる。」と言いました。
   私は本を早くよりあつまりました。それから、家に出来た。授業に行く時にすごく強い風をふくて、たくさんゆりを振りました。風がとても寒いので、早く歩けません。二十間ぐらいのあとで、授業に着きました。私はちょうと授業に遅く行くから、授業にしずかに入りました。いすにすわっているの時、先生のはっぴょうを聞きました。
   先生は「明日の午後の二時半中にプロジェクトを出さなければいけない。このプロジェクトはクラズのりょうの六十パセントです。でも、二月間の前にこのプロジェクトを始めて勉強した引きだのでみなだいじょうぶと思います。」と言いました。
   私は「何!プロジェクトがあることが覚えない!ごびゅうがいます。」と思いました。
   私の友達に言いました。「このプロジェクトは何ですか。いつにださければいけないですか。」
   私の友達は「ハァーハァー。おかしいね。先生はいったばかり,明日の午後で出さなければいけない。」と答えました。
   私は「でも、今日はこのプロジェクトをはじめて聞いた。明日の午後にとてもプロジェクトをできないと思います。そして、このプロジェクトのトピクが知っていない。」と言いました。
   私の友達は「いいえ。先生は二月間の前にプロジェクトガイドラインスを出した。このプロジェクトが忘れたどうかわからない。」と言いました。
   私は「しかたない。今晩このプロジェクトをしなければいけないと思う。」といいました。
   私の友達「でも、このプロジェクトは大きいね。一晩の時にとてもできないと思う。」と言いました。
   私は「いいえ!何をできますか。 クラスのりょうは六十パセントです。今このクラスがしそこないます。たいへんだ!今卒業ができない!だいじょうぶ、だいじょうぶ。次の学期にこのクラスを取らなければいけない。いいえ!いいえ!いいえ!ちょと待った。。。このクラスは何ですか?今日の前にこのクラスに行くことが覚えない。。。」と思いました。
   その時に授業が見にくいになりました。目覚ましを鳴りました。一分間ぐらいの後で今日は日曜日が覚えました。今も夏休みに言いましたから、授業とプロジェクトがありませんでした。目を覚ますのあとで、たしかこの日がとてもつまらないでした。

ミサ・パークさん

人生の重大なけったい

私が中1年生の時、私の妹と冬休みにカナダへ行きました。3週間カナダの学校で勉強しました。あの時はわたしにとって生まれてはじめに両親とはなれて見た経験でした。でも、あれはたった3週間だったし、私の担任の先生と私の妹と一緒に行ったからあまり怖くなかったです。カナダで初めて英語で生活してみたり、妹と楽しい旅行もしてとても大事な時間を過ごしました。それから次の中2年生の夏休みにひとりでイギリスに行くことになりました。あの時は一人で行きましたがまた韓国で会った友達と空港で集まってサマースクルの先生立ちと一生に出発したからあまり心配なくて笑いながら家族とはなられました。あのサマースクルのプログラムでたくさんの日本人の友達ができたし、初めてあそこであった友達と寮の生活もしました。とてもたのしかったし教育的な時間だと思いました。もちろん、イギリスに行った時はサマースクルだったから成績もあまり関係なかったし、英語がうまくなるようにいったのでしたがイギリスの学校の教育の方法がとてもよかったと感じました。韓国に戻って学校に行ったら、「なぜ韓国の教育はこんなにきびしい、難しすぎるし、効率的ではないか」と思いました。学年が高くなってから時間が過ごしたら過ごすほどアメリカで勉強したくなりました。それで、中3になった時、両親に「私には韓国の教育は会わないしアメリカで勉強したらもっとたのしく勉強しながら成功できる自信があります」と言いました。両親はこんな私の意見を受けてくれました。それでアメリカに行くことがけっていしてから韓国の学校は中3のときやめて、5ヶ月のあいだ留学のじゅくとえいごのじゅくに通いました。
ついに2004年9月10日アメリカに行く日になりました。数日前までにしても恐ろしいとか心配しなかったが出発する一日前になったらとてもこわくてもう留学するのをあきらめたいほどでした。一日前の日は家族といっしょに私が一番が好きなレストランにいってよるご飯をたべてながら両親はいい話をしてくれました。父は「ミサはもう大きくなったから大人しくよくするべくだ」っていいなが勇気が出るようにしてくれました。母は「もうすぐまた家族と会えるから心配しないで」っていいました。私はやっと家族たちと離れる気持ちを実感しました。あの夜、荷物を取りそらえ終わる眠ることができなかったです。あの夜に寝れなくてすっと泣きました。あの夜は生まれて一番つらくて、早かった夜でした。私の家族たちもたぶん一番惜しい夜になったはずです。私の妹と弟はもともと中がとてもよくて一度も長い間はなれたことがなかったから、私は両親とはなれるのより妹弟とはならなくてはいけないことがあまりに悲しかったです。妹と弟は私のために手紙を作ってくれました。私の決めた留学が家族たちとはならなければならないほど重要だか思いました。夜通し私のけっていについて何度も考えました。あの夜はとてもはやくて次の朝が来てしまいました。空港におじいさんとおばあさんもいっしょにむかってくれました。家で妹と弟は学校に行ったり父も仕事しにいくから別れのあいさつをしなければならなかったです。あの日、私の父が泣くのをはじめてみました。父はいつもだれよりも強い人だと思いましただ私の前であいさつをしながら涙を見せました。私は「留学させてくれましてありがとう」って言いながら泣きました。そしてきっとアメリカに行って熱心に勉強しなくちゃいけないと思いました。空港についたら私はトイレにかくれてしまいました。到底行く勇気がだせなくて妹と弟にもうあいたかったからでした。私は立った14歳でしたから子供のようにトイレにかくれてしまったのでした。母が来て私を探しました。時間が来て私は入らなければいけなくなりました。パスポートを見せて私は母と別れる前にあいさつしながらだきしめました。母はもうすぐのペランツーウェケンドに私にあいにくるって約束しました。母の約束を聞いたら少し気持ちがよくなりました。そして入り口に入ってから母はそとで私が見えない時まで私をみながら手を振ってくれました。その日は私に一番大変だったが勇ましかったし意味がある日でした。

2009年10月24日土曜日

アレックス・ネルソンさん

思い出の一日

  私の思い出の一日はえりなというガールフレンドと夏休みにシカゴに行った時です。私たちはたくさんミュージアムへ行ってシカゴに一日中いました。シカゴはとても楽しかったです。この日こうして始まりました。
  この日はとても早く始まりました。七時ぐらいです。私たちはシカゴに出来るだけ早く着きました。ミュージアムは九時に開くので、それまでに着きたかったです。それから駅に八時ぐらいに着きました。私たちは時間どおりにシカゴに着きましたが、じっさいは早く着きました。だから私たちは近くのミュージアムやスカイラインの写真を取りました。私たちが最初に行った所はシェッド水族館でした。私たちが入った時、中には20人しかのがいませんでした。人が少ない水族館を見たことがありませんでした。静かでよかったです。私はひさしぶりに水族館に私は行ったので、違っていました。色々な魚を見ることが楽しかったです。えりなは楽しんだけど、カエルが好きじゃないと言いました。私はその時おなかがすいていたので、私は「この魚はおいしいそうだしこのカニもおいしいそうだ。」と言ました。その時に私たちはファンタジーと言うスニークピークを見ました。そのショーはとてもかっこよかったです。そこにはペンギンがいました。私はペンギンが大好きです。ショーの後に、フードコートに行きました。私はピザを食べました。私たちはすべてみて、四時間ぐらい水族館にいました。その後でアドラープラネタリウムに行きました。私たちはプラネタリウムが好きなけど、少しつまらなかったです。それからプラネタリウムはちいさいです。その時にプラネタリウムと言うスターショーを見ました。二時間ぐらいプラネタリウムにいました。次にフィールドミュージアムに行きました。えりなはそこにいった事があったので、長くいませんでした。パイレーツの展示会はあったけど、私たちはお金をはらいたくなかったので見ませんでした。フィールドミュージアム後に、私たちはワォータータクシーに乗ってネイビーピーアに行きました。ネイビーピーアに着いた時、私たちはとてもおなかがすいていました。晩ご飯をBubba Gump Shrimp Co. と言うレストランで食べました。そのレストランは私のお気に入りです。私はエビをたくさん食べました。晩ごはんの後太陽がしずむ頃にかんらんしゃに乗りました。バスに乗って駅に行って、ミレニアムパークで写真を取りました。私たちは九時ぐらいに家に帰りました。デートは終わりました。 パーフェクトな一日でした。この一日は私の大切な思い出です。

アダム・シェイドさん

記憶に残っている日
小さい時から飛ぶことについて興味があった。飛行機やヘリコプターが飛んでいるのを見たら、「いつか飛行機で飛べるようになったらいいなあ」と思った。それに、お父さんと一緒に近くの空港に行って、航空ショーを見たり、展示の飛行機を見たりした。小さいから飛行機に興味があったので、高校の時航空のクラスを取った。そのクラスの最後の方に先生と一緒に飛行機に乗って操縦した。

それから私の家に近くの空港でパイロットになるためのレッスンを取り始めた。やはり最初は難しく、たくさんのことを学べないといけなかったが、本当に楽しんでいた。一週間に二か三回ぐらいレッスンを取った。

いつも教師と一緒に飛行機を操縦したが、パイロット免許を受けるために一人で飛行機を操縦する必要がある。普通に十時間ぐらいの訓練を受けてから、一人で飛行機を操縦する。けれど私は十時間ぐらいの訓練を受けた後、まだ準備してないと感じた。しかしその日に私の教師は私の熟練に信頼していた。私が思ったのは「もし教師は私が本当に準備していると思っているなら、出来るじゃないかな」と考えた。飛行機を操縦するのはそんなに難しくない。けれど一番難しいのは離陸と着陸だ。この二つのことは私の心配だった。

私は初めて自分で飛行機を操縦した日はとっても思い出の日だった。なぜなら、自分で飛行機を操縦するのはパイロットの世界の中で一番大きいステップだから。飛行機に入る前に教師から助言を聞いた。飛行機に入ってドアを閉めると変な気持ちを感じた。前は教師が隣に座っていたので、私が失敗しても教師が間違いを正した。でも今は私しか飛行機にいなかったので、失敗すると私が正さないといけなかった。これは私に取って怖いことだった。

操縦した間ずっと慎重にすべての行動をやった。とても緊張していてもうまく飛行機を離陸出来て、また着陸出来た。三回ぐらいやってから、教師の所に戻って 「おめでと!」と言われた。事故に会わなくて、まだ生きていたので私は喜んだ!そして最後に大切な伝統を行った。初めて一人で飛行機を操縦してから、教師は学生のシャツの裏3分の1を鋏で切って、日付と名前と「 First Solo Flight」をシャツに書くと言う伝統がある。私はこの伝統をぜんぜん知らなかった。けれどその日に直接に学んだ。

今まで何回も一人で飛行機を操縦したことあるので、その時の心配を覚えると笑うしかない。そしてその切ったシャツを見ると、私が初めて飛行機を操縦した時の思いをはっきり思い出す。

マデリン・セピースさん

思い出の一日

   私の一番思い出の一日は私の母の結婚式と結婚ひろうえんです。私の父は私のまま父ですよ。八さいに私の母は私の父かと結婚しました。私の母の仕事に母はまま父を会いました。クリスマスに父は母に母は父かと結婚しませんかかと聞きました。六月に母は父かと結婚しました。
前の日に私の家族は結婚式をじゅんびしました。教会をかざりました。花とリボンを使いました。それに、一時間結婚式をリハーサルをしました。リハーサルの後に私の家族と私の両親の友達はレストランに行きました。それから、家に帰りました。
日の結婚式に私と母と母の友達は教会に早くつくました。私の母にきれいなウエディングドレスをきりました。私は母のドレスのようなドレスをきりました。そして、私達はじゅんびしました。母と私はきれいなかみがたがありました。それに、ネックレスをかけました。また、母はウエディングベールをかぶりました。じゅんびの後に、結婚式が(いつか分からない)始まりました。母は父かと結婚しました。結婚式は大きかったときれいでしたよ。
結婚式の後に、私の家族と私の両親の友達はたくさんしゃしんをとりました。一時間しゃしんをとりました。そして、教会を出りました。それから、ホールへ行きました。ホールが大きかったです。ホールで結婚ひろうえんがありました。ひろうえんがとてもおもしろかったですよ。私はおどりました。それに、私は母とおどりました。また、たくさんおいしい食べ物を食べました。それて、ウエディングケーキを食べました。それから、母と父はたくさんプレゼントをひらきました。両親は変なプレゼントをもらいました。たとえば、両親はそふにおかしいランピをもらいました。ランプはにわとりの形でした。そらから、またおどりました。結婚ひろうえんは何時間もつづきました。ひろいえんの終わり前に、私はなむりました。でも、ひろうえんがとても楽しかったですよ。
   結婚ひろうえんの終わり後に、私のそふぼは私をおこしました。そふぼま私にそふぼの家に行きました。私の両親はしんこんりょこうにいきました。それで、私の そふぼの家に泊まりました。しんこんりょこうが終わった時両親は家に帰りました。そして、両親は私におみやげをくれりました。おみやげはきれいな人形でした。私はたのしだでした。
私の両親の結婚式と結婚ひろうえんがとても楽しかったですよ。食べ物がおいしかったです。また、ダンスが好きです。ひろうえんがおもしかったです。それに、私の母は父かと結婚しました。ですから、私はしあわせでした。私の一番思い出の一日は私の両親の結婚式と結婚ひろうえんですよ。

レン・ユーさん

今まで、私の一番つまらなかった一日について、この作文を書こうつもりです。これから、私のとてもつまらない一日を伝えますから、とてもつまらないことを読むの覚悟をできるようになってください。
ある朝、十時に目覚まし時計に目を覚まさせました。私はまだ寝たいでしたが、授業に行かなければ行けません。でも、あのクラスの先生はとてもつまらないのことを思い付きましたと、ちっとだけ寝ようと思いました。そうしたら、再び起きた時、も授業の時間を過ぎました。ああ、やる気ない、授業に行きたくない、もっと寝たいと思いました。どうしで私はそうなのつまらない授業をとらなければならないでしたか。そう思ったら、ムカつくたまらないでした。しかし、仕方がありませんでした。この先のつまらない授業を思うながら、クラスにはしっていました。そして、十一時に教室に着き、つまらない四十五分間が始まりました。三十分の授業をさぼけてしましたが、ぜんぜん後悔しなかったです。このクラスは初めて五十人のサイズでしたが、先生が非常につまらないので、今十人ぐらいしかクラスを出ませんでした。先生はすごく怒っているでしようと思いました。ああ、先生はまたPowerPointのスイートを読むのを始まりました。そうな教え方を使ったから、学生が来なかったわけでしたよ。先生、なぜ分からないでしたか。
ついに、授業が終わりました。お腹がすいましたが、いい食事がないでした。私はただのラアメンがほしでした。でも、このつまらない町では、いいラアメンがありませんでした。まあ、Bagelにしましようか。
その後、次の授業もとてもつまらないでした。経済の爺の英語が難しい、分かりにくいでした。昼ご飯を食べたばかりでしたから、授業中にすごく眠くなりました。それに、爺が言ったことが子守歌ように私を寝させました。寝た時、夢を見ました。私は立派な人になり、お金をたくさんもらい、すごく高級の料理を食べていました。しかし、夢は夢でした。隣の人が目を覚まさせた時、も授業が終わりました。ああ、また寝てしまいました。こなことをいつもしたら、だめ人間になるかもしれません。
つまらない夜、宿題をしたくないでした。何か面白いプログランムを見たいでしたが、テレビがないでした。友達とケームをしましようと考えた時、火事の警報が鳴りました。ええ、なぜこな時にビールから出らなければいけないでしたか。雨が降っていましたよ。ああ、災厄でした。これは、私の一番つまらない一日でした。

ジュリー・リンさん

思い出の一日   

   今まで私の一番思い出の一日は面白かったです。また、少し疲れました。その日は家族といっしょにシカゴに行きました。私の家からシカゴまで六時間ぐらいかかります。遠いですから、一年中一回たけ行きました。それから、これは大切なトリップになりました。
   感謝祭のお休み、シカゴに行く決めました。一日間しかないし、天気派を悪くて、朝三時に家に出なければなりませんでした。私は三時間運転すると、お姉ちゃんは三時間運転することにしました。外は風が強いし、雪が降ったし、運転しにくいでした。さっきからやたらウネウネした進んでいました。三時間後でガソリンスタンドで動車ガソリン入れし、休憩を取りました。シカゴ来た前に時三回止めました。
   シカゴに着たら、ますぐチャイナタウンに行きました。こなん時みんなは空腹を感じだって、朝ご飯を食べるために場所に探しました。朝ご飯はおいしい中国料理をたべました。それから、買い物を始めました。最初私の一番好きな店に行きました。優の良品という菓子屋に行った、たくさんお菓子を買いました。そして、サントアンナベーカリー&カフェというパン屋に行ったし、それに、果物のケーキを予定していった、夕方ピックアップしました。
   午後一時ぐらいお昼ご飯をたべでいきました。私達はB.B.Q.キングハウスというレストランを食べました。あのレストランのB.B.Q はとてもおいしいと思いまいした。お昼ごはん後で、私達は友達と会う予定でした。そして、私達は一緒にミシガンアベニューに遊んでいきました。ミシガンアベニューは買い物ために有めな所がありました。私達はふくも宝石も買えました。私達は観光することがあった、そして、たくさん写真をとりました。夕食ために、もう一度チャイナタウンに行きました。夕食はベトナム料理をたべました。
   夕食後で、友たちは家を帰りました。それから、家を帰る前に私達はちょうとかいものをしました。お母さんはYINWALL市という市場にいって、ホタテ貝と燕の巣とフカヒレをかいました。私とお姉さんと妹はサントアンナベーカリーに行って、予定のケーキを取りました。もう黒になった、明日仕事があるので、家に帰ることにしました。疲れだので、なかなか運転させませんでした。ぜんぜんねられないから、眠い感じがしました。みんなは、なるべく早くうちに帰りました。家に帰り時二回しか止まりませんでした。この一日はとてもうれしいと思いました。

アイサ・ファンさん

   ペットの悩み

   私は今飼っている犬を買う前に二匹の犬がいました。名前はラッキーとクロでした。体が大きいブラッドハウンド(Blood Hound)はよく走ったり、よく甘えたり、よくヨダレをたらしてたり、そしてよく近所の庭に穴を掘ってたりしてました。あまり友達のいなかった私にとっては最高の友達でもあり、大切な家族でもありました。残念ながら、この子達は毎晩夜遅くまで吠える癖がありました。そして毎晩吠え終わると次の日には必ず近所からの苦情が来ました。
   しかし近所迷惑なのは分かってても、引っ越す訳には行かないし、犬達を他の人にあげるのも嫌だった。自分のペットとは別れたくなかった。でも突然ある日、学校から帰ってきた私は普段庭にいるラッキーとクロの姿が見えなかった。庭の塀を跳んで逃げたのかなと思いました。前にも一度あった事件だったからあんまりびっりしませんでした。逃げたと言っても、前回は家の近くにいたからすぐに迎えにいけると思いました。しかし、探しても探しても犬達は見当たらなかった。
   その夜、母は私と姉に言いました。「残念だけど、もうラッキーとクロには会えないよ」と言いました。そして母は説明してくれた。一番近くに住んでいる近所が警察に連絡を入れ、大問題を起こしてしまった。そして母は仕方なくラッキーとクロを知らない人達にあげました。それを聞いて、私はとても悲しくなりました。さよならすら言えなかった。ペットが亡くなった時の悲しみとは違い、まだ元気で      生きているのにもう会えないという事は苦しい想いです。
   そんな母を私は少し恨んでた。そして何よりも寂しかった。だから多分自分の子供の辛い姿を見た母は責任感を感じこう言いました。「今度はもっと小さいペットを飼いましょう」。新しいペットを飼っても、ラッキーやクロがいないと言う事実は変わらないが、少しだけ寂しくなくなるだろうと思うました。どんなペットを買えばいいだろう。犬に比べれば、ハムスターやウサギはあんまり面白くないかもしれないが、小さい友達さえいれば私は何でもよかった。そして次の日に、私は母と姉と一緒に「アンコル・ビルズ」というペット屋さんにいきました。このペット屋はインディナポリスで最もペットの数を置いてあるペット屋なのだ。ペット屋に入ると迷路のように魚のタンクが並んであって、中には色んな動物の匂いがしていて、必死に吠えてる犬達の鳴き声が聞こえました。
   爬虫類のだめな母はすぐハムスターの所え向かった。姉は魚に興味があり、水族館の方に行きました。私は仕方なくウサギの方に行った。ウサギは可愛いと思ったが、ちょっと臭かったし、座って人参を食べてばかりでした。ハムスターの所に行ったら噛まれたり、猫を見に行ったら、またまた噛まれました。「噛まれやすい体質なのかな?」と思った瞬間、私は小さいビーグルを見つけました。ビーグルと言えば世界有名なスヌーピーには似ていたが、色は茶色と白ではなく、枯れた葉っぱのような薄い茶色の綺麗な子犬でした。母と姉は見当たらず、このまま他のペットを見ていても多分噛まれるだけだろと思いこの子犬と遊び始めた。店員さんに聞いたが、このような色のビーグルは珍しいと言われた。そして、なんとこの子は血統書付きの高級赤ちゃんだった。しかし、体が小さかったし、あんまり元気そうじゃなかったこの子犬はペット屋に売られたらしい。
   ますます、気に入ってしまったが母はどう思うだろう。まずは姉に見せ、姉はとても喜んだ。「ぬいぐるみみたいでかわいい!」と叫んでました。後は母を納得させるのが最後だった。最初は「犬はだめでしょ!」と言いましたが、私は言いました。「お母さんは「もっと小さいペットを飼いましょう」って言ったじゃないか。この子は本当にチビだからきっと大丈夫だよ」と説得し始めた。三時間後やっとペット屋からでました。もちろんチビちゃんと一緒に出ました。名前はそれっきり変わりませんでした。

ケイラブ・ハービーさん

七歳の春休み

   私の全部の子供のときにたくさん痛くなかっただって大切じゃないことに大きい声でわめいたことがある子でした。この物語のときに私の家族は六人家族でした。両親二人、お兄さん三人でした。私の自転車は四歳の誕生日にもらいました。それで少しい古くて小さかったです。七歳ときにKarateKidと言有名な映画をはじめて見ました。それで日本の文化が好きになりました。しかし十四歳のときまで日本語をぜんぜん習ったことがありませんでした。二十歳までぜんぜん日本語のクラスを取ったことがありませんでした。そしてそのときにたくさん子供がすることがありました。上年な兄弟と一生にたくさん遊んだことあったからとてもきけんでした。このものがたりは私のきけんな子供のときの例です。
   一日七歳だったときに私と私の家族は春休みにキャンピングをしました。そのときにテキサスに住みましたから暖かただって春にキャンピングしやすかったでした。この休みにお兄さん達がキャンピングする辺で自転車をはせながら私は小さい川に遊びました。少し時間後で彼達は私に来て自転車でジャンプするためにすごい辺について言いました。「クリッフ」と言いましたがそうじゃなっかたです。小山だけでした。私は小さかった子供のマイバイクを取って兄弟が言ったところにはせました。小山の一番上のところから自転車で下に早くはせました、それから自転車のうしろのタイヤーが死んだった木を打ちました。自転車が飛んで何度フリップして下がりました。フリップしながら頭が自転車の前にあるメタルバールを打ってバールを曲がりました。そして足が自転車の中をうちましたからその後三時間で歩けませんでした。すごく悪かったから一番大きい声でわめきました。
   私の家族はわめくの聞いたが悪くないと思ってかまいませんでした。その辺でほかのキャンピングする人がいました。 その人は私が死んでいると思いました。知らない男の人は私を取り上げて両親にはこびました。両親かまわなかったからその人は悪い両親だと思ったかもしれません。あの日私はよく覚えますが事故あまり覚えません。事故の前と後と知らない人だけ覚えます。とてもクレージーだったから私はあの年間をぜんぜん忘れないと思います。

アイドン・ウォンさん

新しい車と事故

これはもう五年前の話です。あの時、私は大学に入ったばかりでした。その大学は私が住んでいたニューヨーク市から車で五時間ぐらいの所にあります。週末や休みに家に帰ったらバスを乗らなければいけない。そして、田舎の大学ので、キャンパスが広くて、どこに行っても遠くて、車がないなら、とても不便利です。それに、あの時同じ大学の友達の中、車を持っていた人は何人もありましたから、私は羨ましくて、自分の車がほしいのようになりました。その思い両親と相談して、「いい成績を取れたら買ってあげる」と教えてもらいました。そのために、あの春学期、私は一生懸命勉強しました。結局、いい成績を手に入れて両親が車を買ってくれるのを決めたんだ。
そして夏休みのある日、車のとこをすごく分かるおじさんは私を車のディーラーの店に連れて行った。おじさんからいい意見ももらいましたが、私はその前もう自分でいろいろな研究をしました。ほしくて立派な車がいっぱいありますが、やはり両親が払うから値段を考えなければいけない。最後に、私はある黒いNissanのSentraを選びました。上級の車じゃなかったが、新しくて自分が気にいって両親からのプレゼントだから、私は物凄く嬉しかったです。
車を持っているのははじめてでしたが、私はあの時、両親や友達の車を運転するのは何回もあったので、すぐに自分で運転してもきっと大丈夫だと思いました。そして、私はおじさんと別れて、一人で大学に新しい車で帰りました。
そうしたら後の話は違うか何かわからないけど、私はあの時、突然ほかの大学にいた友達に見に行きたかった。今考えたら、新しい車を見させたかったもかもしれない。だから、私は友達の大学に行って、気をつけたから、三時間の後無事に到着しました。
何月も見なかった友達に会って、そして彼らから新しい車のことを祝ってもらいまして、とても嬉しかったです。私たちは一緒に食事をして、それから映画を見に行った。映画館から出た時はもう晩十時でした。そして、雨も降っていたので、友達は「今晩はうちに泊まる、明日の朝大学に帰るのほうがいいでしょうか」と聞きました。それもだめじゃなかったですけど、次の日自分の大学にも用事があったので、私は最後にすぐ大学に帰るのを決めました。
私は急いで大学に運転して行きました。もう深晩でしたから外は暗くてなかなか見れなかったで、雨も降っていたのに、私は超速運転していました。ほかの車があまりなかったのおかげて、ほとんど無事に学校に帰りましたが、ある道が回った所に、急に大きいトラックが向かいからきました。そのトラックから緊急回避をして、車が道の右側にある柵を引かれました(hit the rail)。
あれは人生初めの事故でしたから、物凄く怖かった。けど、奇跡とか何とか、私は全然無事でした。でも、朝買ったばかり車が大きい被害がもらいました。私は携帯で友達や警察を連絡して、助けられました。両親はその話を聞いたとき、やはり怒れましたが、無事なのは何よりだと言った。
今考えたら、同じの一日に、新しい車を初めて持っているの嬉しさとその新しい車で事故を起こしたの怖いさと悔しさを一緒に体験したのは、一生も忘れない思い出ですよね。

リン・タナタナウィンさん

私の一番おもしろかった一日

私の一番おもしろかった一日はずっと前にありました。この日も一番かなしかった日でした。私は動物がとても大好きです。毎日動物の本を読みました。そして、毎週末に、動物園にいきたいでした。平日には友達の家で犬と遊びました。私の世界の一番好きな動物は犬です。ペットを飼いたいでした。でも、私の両親は「ペットが飼うなら、リンはペットを引き受けらなければなりません。でも、リンが若いすぎる事だ」。さらに、私の両親は動物が好きではありませんでした。

ある日に、私は庭に遊んで、かめをみつけました。両親は私にかめを飼ってもよいと言いました。私たちはかめをマクスと名付けました。でも、マクスをおりに入れるできません。庭しかに住む。そして、毎日、私は庭に野菜を置きました。マクスは野菜がとてもすきです。マクスは三年、レタスを食べました。時々、マクスとテレビを見ました。マクスは犬ではいませんが、私はマクスをあいしていました。

ある日に、学校の後で、家に歩いていて、私の後で音がした。少しおびえでした。歩きはじめでした。でも、まだ音がした。私はこわいくてどきどきしたよ。怪物だと思いました。それから、一生懸命走った。でも、私はふりむいて、小犬を見ました。

この小犬は私が今までに見た中で一番かわいいぬだとおもいました。この小犬は茶色し、デブでした。小犬は家までついて来ました。家に着きましたに、父は小犬を見ました。「あなたは若いすぎる事だ」と言いました。私は両親は動物が好きじゃないが分かりました。それで、私は家に入ました。小犬は外で座りました。

父とおやつをたべて、小犬は外で待っていました。三十分の後で小犬はもと座りました。とつぜん、父は「ちゃわんの水にあたえしょう」と言いました。父の言葉に私は驚きました。「早く早く。私たちの新犬ののどが渇きました。私はこの世界で一番幸せ者でした。

小犬の名前はトトです。トトもうれしいかっただと思います。私は今までにこれほどかわいい小犬を見たことはなかった。私はトトとマクスを紹介したい。それから、庭に行きました。でも、それを見て、私はきゅうにかなしくなてきました。マクスは死でした。マクスはとてもいい友達でした。私はマクスはとても古いだと思いました。

ゆうがたに、私はトトとマクスのために墓を掘りました。それで、このおもしろい日はかなしいも日でした。

エリック・リゴンさん

私のほとんどの楽しみ日

アトランタに行く時、私の一番おもしろの日がかった。夏休み中に私の新しい家ではじめて住ました。朝ご飯後で、私とお母さんはデパートに行きました。私はベッドシーツを交換したためにベッドシーツは赤いと金があった。私は黒と銀色をほしかった。家に帰りました後で、私のいとこは電話を頼んでした。
私といとこは友達のうちに行きました。私達はNBA Live を遊びました。私のいとこはゲームに勝かった。それから、私達はハローを遊びました。私達はいつつローンドスをしました。私のいとこはあらゆるゲームに勝かった。いつも私はビデオゲームをしるために私のいとこと私達の友達は冗談を言い中にゲームをします。いつ私のいことと私達の友たちに一緒にある時、私達はおかしてあります。
それから、私達はスケートリンクに行きました。スケートリンクの名前はカスケドです。スケートリンクは映画ATLにありました。私達が着いた後で、私は覚えて、私はスケートをしませんでした。全夜、わたしはスケートで滑る方法をしました。夜の間に、私は何人かの新しい人に会いた。私達はスケートをするまでに、スケートリンクは閉まかった。
それから、私達は店に行くために、軽食を買いました。私のいとこのうちに帰りました。私達はビデオゲームをしましたり、たテレビを見ました。私達は四時半まで寝なかった。その日はとても楽しみです。

2009年10月14日水曜日

ミサ・パークさん

想像の世界
ある小さな町に、マンガが大好きな少女がいました。この少女の名前はミミちゃんでした。はミミちゃんは10歳でとてもかわいい子供でした。ミミちゃんはいつもマンガの中の主人公がなりたがっていました。特に「ヘリポター」という映画にはまっていました。ハリーポッターをあこがれていて世界のどこかでは魔法を使われる人たちがいると信じました。 毎晩神様に「ハリーポッターにあわせて下さい」と祈りました。神様に祈ってから77日目の晩、ミミちゃんはふつうのよるみたいに10時にねました。寝たばかりに青い鳥が開けてる窓で入ってきました。ミミちゃんはおどろきました。青い鳥さんミミちゃんに話をかけてきました。「かみさまがわたしを送ったの」と青い鳥さんが言いました。そして「いまからあなたはようせいになるのよ。わたしをついてきて」って言いました。ミミちゃんはこの信じられない瞬間に「あ、神様有賀と」と思いました。ミミちゃんはほんとうに魔法のようせいになっていました。青い鳥が言ったとおりに、飛んでついて行きました。夜空は美しかったです。星さんミミちゃんに「こんばんは」とあいさつしました。星さんたちは暗い夜空で美しくほうせきみたいにかがやっていまいした。青い鳥さんが連れて行ったところは違う世界に見えました。青い鳥さんは「ここだよ」っていう一言を残したまま消えました。その新しい世界は天気がとてもはれてる朝でした。ミミちゃんは地に下って見回しました。その時、ほかの小さなようせいさんにあいました。ミミちゃんとは違うように小さくて輝いたし羽を持っていました。ミミちゃんは勇気を出してあのきれいな妖精さんに話しかけました。「あの、妖精さん。聞きたいことがありますけど、ここはどこですか。」と聞きました。そしたら妖精さんは「ここは想像したらなんでもできる世界ですよ」って答えました。そしてようせいさんは今ピタペンーを待っているって言いました。ミミちゃんは今までずっとあこがれていたヘリポターに会う想像をしました。そしたら目の前に「ホグワット」という魔法の学校がありました。ミミちゃんは早く入ってみたがっていました。飛んでいってら空で飛ぶ毛氈に乗った男の人に会いました。ミミちゃんはその男の人はアラジンだと思いました。隣にいっしょうに乗った女の人はお姫様でした。ミミちゃんマンガの中主人公たちに会ってあまりにも不思議で嬉しかったです。学校についたらいろいろなマンガの主人公たちがいました。ドラエモンは自分のポケットから面白い魔法の思っちゃを取り出して友達と遊んでいました。そしてシュレックはそのままぶさいくて大きかったですが奥さんのビヨナお姫様と熱心に主文を覚えていました。ピカチュもいましが話す練習をしていました。スパイドマンは魔法を使って人で変身する方法を学んでいました。ミミちゃんついに授業でハリーポッターにあいました。ミミちゃんはハリーポッターに近付いて友達になりたいと言いました。それからあの二人は友達になりました。友達になったその晩, ハリーポッターはミミちゃんに「禁止になった森」に持ちに行くものがあるって言いました。[禁止になった森] は誰も入って行ってはいけない森だったしとても危ない森でした。 しかしハリーポッターと友達になったミミちゃんはハリーポッターを一人で送りたくなくて一緒に行くようになりました。ハリーポッターが持ちに行かなければならないものは昔にその森が禁止される前に隠しておいた魔法のものでした。ミミちゃんは少こわかったが冒険をして見たかったです.。その晩, ハリーポッターとミミちゃんは透明マントを着て「禁止になった森」に行きました.。透明マントを着れば他人は見られなくなる不思議なマントでした. 森は暗くて恐ろしいような木が森を守りながら話していました.。大きい木木は木の枝を強く動きながら大きい音で笑っていました。ミミちゃんとハリーポッターは透明マントを着て無事にものを捜しました。ミミちゃんはようせいになったからとることができてハリーポッターを連れて飛んでまた学校に帰って来ました。新しい冒険をして帰って来たハリーポッターとミミちゃんはものを取り戻すようになってあまりにも嬉しかったです。 ハリーポッターはミミちゃんに一つのかがみを贈り物で上げました。 そのかがみはいつもあいたい人を見られる魔法のかがみでした。ミミちゃんが家に帰るようになってもそのかがみであいたい友達を見られるようになりました。ミミちゃんはハリーポッターにありがたいというあいさつをして朝になって現実世界に帰らなければならなかったです。ミミちゃんは朝に家に帰って来て自分が夢を見たと思いました。しかしミミちゃんのベッドの上にはハリーポッターにもらったかがみがありました.

2009年10月13日火曜日

ケイラブ・バービーさん

フラフルスと言う熊
一日、フラフルスと言う熊がいました。この熊はとても悪かったですから毎日むらで住んだ人のやねを食べました。それであの人は毎晩雨が降りながら寒くなりました。 フラフルスはモリモリと言う森で住みました。そしてむらに住んだ人はムラムラと言うむらに住みました。むらの全部の人は病気になっていましたから、むらのかがくしゃに手伝いをたのみました。かがくしゃの答えた考えはフラフルスをころしてできる男の子を作ることでした。男の子を作るために必要なざいりょうはスパゲティーと足のゆびのつめだけでした。ラッキーなことでむらの料理長は毎火曜日に足のゆびのつめのようなスパゲティーを作りましたからざいりょうはみつけやすかったです。
それで かがくしゃは子供を作ってFrim Framと名前をつけました.しかし 作る途中間違いをしてFrim Framは人を食べる飢えた化け物になってしまいました. フラフルスが村に現われた時,お腹がすいているFrim Framがもう村を全部食べてしまった後でありました.村を全部食べてからもお腹がすいているFrim Framは村に現われたフラフルスを残忍にやっつけた後食べてしまいました.

ケリー・ファンさん

昔々、新八という男の子がいました。新八は赤ちゃんの時、お父さんは戦争に死しました。それで、新八のお母さんは一人で剣心がせわをしました。
新八はとてもちっちゃな男の子ですから、ほかの子供にいつもいじめられました。年を取りにさえ新八の体は大きいになりませんでした。この時間帯、新八のお母さんは病気になりました。何をするにもお母さんがなおらなったら、新八は心配始めました。
新八はちさいのに、けなげだって、親切でした。龍宮城の竜神はとてもりこうらしいだった、それに、有用な宝物があったから、龍宮城に行く予定でした。ちっちゃから、お父さんの刀を持たなくたんが、小刀と持って行きました。「薬を探した後で、すぐに帰ってくる。心配しないでお母さん」と言いました。隣の老人はお母さんのせわすることをうべなった後で、新八は海にいきました。
毎日ちっちゃな人を見ないから、新八は早く有名になりました。いい頭と、多い人のなやみを解きました。りょうしゃにをまらった犬にのってから、海に着きました。数日間たったすえに、新八はかめを見ました。「かめさん、おはようございます。お元気ですか。」と言いました。あいさつを交わした後で、新八は龍宮城に行くことが出来るかにききました。「お母さんがなおることのために、竜神に会わなければなりますせん。」
「新八さんはとてもこうじゅんですね。いいですね。龍神は新八の良いことを聞いた後で、新八もと会いたいです。亀甲を乗ってください。」亀を言いました。それで、新八と亀は龍宮城に着きました。龍宮城行った人は少ないだから、竜神は新八にけいいをあらわしてえん会をもよおしました。三日れんぞくをいわって、新八はお母さんのことを覚えた、去ることにしました。龍神は悲しかった、でも、何にも出来ました。龍神はギフトをあげたいから、新八は何をほしいですかをききました。新八はお母さんの不治の病ことを説明した、治癒は龍神をしるかとききました。龍神は新八の孝を感動した、瓶からなみだに入れました。「お母さんはこの飲み物を飲みば、なおりました」と言いました。新八は龍神にいろいろ親切にしてもらって感謝をした後で、同じかめと地に帰りました。それから、簡単に言うと、つばめは家に乗って早く帰りました。
お母さんまだい生きていたから、新八を見る時、とても嬉しいでした。飲み物を飲んだ後で、直しました。新八が旅したの時、良いことをすることすぐひろまりました。それから、二度といじめられませんでした。

アダム・シェイドさん

教訓的な物語
昔、ある砂漠で珍しい動物が住んでいた。もしこの動物を見たら、なぜ珍しいかすぐ分かると思う。この動物は長くて、綱のような体があって、それに10本の足があった。やはり砂漠にはそんなにたくさんの食べ物がないので、この動物は食べ物を見つけるために一日一生懸命に砂漠で歩いていた。でも歩くのはこの動物にとってとても難しい活動だった。10本があったので、動くと足が上手に歩くことが出来なくて、足につまずいていた。一日探していたのに、なかなか食べ物を見つけられなくて、困っていた。と言うのは、体が弱くなって砂漠の暑い太陽でだんだん餓死してきた。5日の間何も食べなかったので歩く力がなかった。しかしこの動物は「The Little Engine That Could」のように諦めることが出来なかった。「生きる、出来る、生きる、出来る」と自分に言った。前に言ったように、食べ物が近くにはなかったが、この動物がよい考えがあった。もう少し生きるために、自分の足を食べ始めた。足を食べたことがある人に聞くと足の味がとてもまずいと言われるかも知らない。もちろん自分の体を食べるのを勧めない。けれどこの場合には生きるために足を食べないといけなかった。1本ずつすべての足を食べてから、信じられないことが起こっていた。自分の足を食べることでこの動物の動きは軽快になった。つまり、上手に食べ物を見つけられるようになった。だんだんこの動物は早くなってきて、ネズミやウサギやそう言う素早くて小さい動物などを捕まえられるようになって、砂漠で良い生活を過ごした。そして「ヘビ」と言う名前を受けた。この動物の話から、いろいろな教訓を学ぶことが出来る。一つなのは、この動物の生息地についての教訓だ。砂漠に住んでいたのに毎日がんばって、生きることが出来た。自分の生活には砂漠のような時があっても良いことが起これる。もう一つの教訓は最後まで耐え忍んだら、難しい状態や大変な試練を打ち勝つことが出来る。最後に、前記のことを打ち勝つことでもと強くなって、前に出来てないことを成し遂げられるようになる。つまりこういうことによって能力が強くなって、自分の性格について学ぶことができる。ヘビを見ると、この話を思い出して、自分が経験していることによってどういう教訓を学べるか考えてください。ヘビのように諦めないで、一生懸命に働いて、がんばればよいことが来るでしょう。だからヘビのように最後まで耐え忍んでください。

リン・タナタナウィンさん

ゼブラの白黒物語
今は昔、アフリカにはかく動物がありました。名前はゼブラです。ゼブラはとてもごくまれ動物でした。ゼブラはあくばです。この動物は高いで、強いで、頭がいいでした。これ動物はあれに馬にていました。それで、ゼブラがいるには、人はミリオネアでなければなりません。

ゼブラの一番有名はとても強いで、馬よりも速く走れました。ゼブラのかみは白いデス。とてもきれいそうです。みんなはこのゼブラはまがいいをしんじました。ゼブラを見るの後で、ふしゃになりました。そして、うれしい生がありました。

ときどき、人はこのゼブラを見ました。ゼブラは木の葉だけたべました。でも、このゼブラは果物がとて好きでした。変なです。それで、このゼブラの名前はフラヒです。フラヒ葉スハヒリ語の意味は「あまいものずき」です。

ある日に、タムというとばくしはたくさんお金を失った。気が重いでした。タムは悪い人です。あくたまです。困っているとき、アイディアがありました。「私葉フラヒを獲るごとにしました。それから、ホースレースに、フラヒはかけて、私はふしゃになるよていです。ハハハ!」いく日もいくにちも、しゅこうをこらしました。しゅこうはかんたんですが、とてもりこうです。

タムはこうを鍛えておりを作りました。フラヒは強いですが、このこりは強いよりです。タムは木の上におりと上りました。りんごを地でおきました。それから、タムはフラヒをまつ。

一週間まで、フラヒはようやく着きました。「ええ、これ赤いボールは何ですか?」。フラヒはりんごをあじみしました。「あ!とてもおいしいです!あまいです!」と言いました。おりから、タムはおりをおとしました。フラヒはおびえました。その動物はおりから出ようともがいですひた。おりをキックをしました。タムハ「わあ!わあ!フラヒは何て強いんだ。足がとてもつよい」。

タムは木を下りました。「あらいやだ!ロップを忘れました。ざんねんです。町で行かなければなりません。ロップを持ってきました。」それで、タムは町に行きました。

フラヒはおりの中にいました。アフリカのさばくはとても暑いそうです。フラヒはおりでわなにかかりましたから、からだをうごきまわる出来ません。さばくのたいようがフラヒにじりじいてりつけりました。

タムの帰る時に、フラヒの新しい黒いたてじまが見ました。「ああ!だめです。切れじゃありません。だめ!」。それから、タムはおりの門を開きました。こんやって、ゼブラは白黒になりましたの。

ピーター・ストックウェルさん

その日がつまらないと思いました。でも、日本語の先生のせんげんのあとでその日が惨烈ようになりました。
日本語の先生は「明日に作文をだしてください。この作文ために、たのがたりをつくりましょう!」と言いました。
私は「大変だ!今夜にビデオゲームをしてほしい。作文を書くことにたっているので、とてもビデオゲームをしない!」と思いしました。
アパルトマンに帰る時に宿題をかんがいていましたでも、どんな作文が決めません。
私は「こわいの話。。。いいえ。かなしの話。。。いいえ。どうな作文を書くばいいのにかなぁ。。。」とおもいしました。
アパルトマンにはいる時私のルームメートは新ビデオゲームをしましたので、あの作文が忘れました。三時間ぐらいビデオゲームをしました。十一時半ぐらいにとけいをちらっと見ました。
私は「大変だ!今ちょうとおそいだね。とても作文を書かないわけだ。」と言いました。
私のルームメートはダンくんは「ピーターくんだいじょうぶ?」と言いました。
私は「日本語の作文を書かなければいけない。でも、今ちょうと。。。」と答えりました。
ダンくんは「一時間ぐらいにいくばいいのに。それから、しょうらいのピーターくんはあなたに作文をくれる。」と言いました。
私は「はずかない。」と言いました。
ダンくんは「いいえ。おしいれにタイムマシーンがある。だから、しょうらいにきましょう。」と言いました。
私は「そですね!とても便利なぁ。どこで買いました?」と言いました。
ダンさんは「ダムスターダイビングの時にタイムマシーンをみつけりました。」と言いました。

十分のあとで。。。。

私は「だいじょうぶ?」と言いました。
ダンくん「はい。行きましょう!」と言いました。
タイムマシーンをを点しました。それから、ポプの音が聞きました。そして、リビングルームに作りました。しょうらいのピーターさんはリビングルームにはいりました。
しょうらいのピーターさんは「よかった。私の作文がありますか。」と言いました。
私は「何?あなたは私の作文を書くことになりました。」と言いました。
しょうらいのピーターさんは「いいえ。一時間の前にあなたは作文を書くないでとてもかけない。」と言いました。
ダンさんは「アパルトメンに帰るの時に作文を書いたばいいのに。」と言いました。
しょうらいのピーターさんは「はい。はい。六時のピーターさんは作文をかくばいいのに。」と言いました。
私は「この作文を書かなったので、あの人はばかですね。今私たちは六時に行きなければいけません。」と言いました。
しょうらいのピーターさんは「そうですね。行きましょう!」と言いました。
タイムマシーンをを点しました。それから、私のアパルトマンの外にありました。六時のピーターさんを見ましたので、私は「あなたは日本語の作文を書きなければいけません。この作文を終わるのあとで、ビデオゲームをしてもいいです。でも、書かないで、ビデオゲームをしてはいけません。」と言いました。
六時のピーターさんは「なたは私のしょうらいです。あなたは作文を書かないで、私は作文を書けません。」と言いました。
しょうらいのピーターさん「そうですね。そして、私はとても眠いので、作文をとてもかいてはいけません。」と言いました。
私は「でも、私も作文をとても書かない。何をしますか。」と言いました。
六時のピーターさん「はい。。。だから、私は作文を書くことにします。」と言いました。
私としょうらいのピーターさんは「ありがとうございました。」と言いました。
それから、しょうらいのピーターさんの時に帰りました。それから、ダンさんと私の時に帰りました。私のコンピュータでみつけりました。

アイドン・ウォンさん

自分でやってみよ
昔々、パンダの夫婦と子パンダちゃんのパンダ家族がいました。子パンダちゃんは小さい時から、お父さんとお母さんに大事にされて、毎日幸せに生きました。そしてある日、お父さんは子パンダちゃんを呼んで、話しかけました。「息子よ、いつの間に、あなたも家の事を手伝えるように大きくなったわね。自分で隣の森に住んでいるお爺さんにこの土産を送り行けませんか?」「いいですよ、私に任せてください」っと子パンダちゃんは嬉しく言いました。
子パンダちゃんは家から出ました。一人で隣の森に行くのは初めてたが、両親と一緒にお爺さんの家に何回も行ったから道はよく分かりまして、たいしたことはないと思いました。そのまま、一時間ぐらい歩いて、大きい川に着いた。いつも川の上にある木の橋をわたったけど、子パンダちゃんは今日その橋を見えなくでびっくりしました。「何か事故がありましたか、それより、橋がない今頃、私どうやって川の向かい側に行きますか。」子パンダちゃんは泳ぐ方もこの川の深さも分からなくて、迷惑しました。その時、子パンダちゃんは近くにいた象さんを見つけました。「象のおじさん、聞きたいことがありますけど、」子パンダちゃんは話しかけました、「この川が深いかどうか分かりませんか。」象さんは「いいえ、全然深くないわよ」と答えた。その話を聞いて、子パンダヤンは安心して川をわたるつもりですが、突然子うさぎは出ました。「だめよ、子パンダちゃん」子うさぎは真剣に言いた、「この川はとても深くて危ないですよ。その前、私の友人はこの川に落ち込んで、なくなっちゃたよ。」同じ川のこと、どして象さんとウサギちゃんに全然違い話を教えてもらうか子パンダちゃんが分からない、それに、どうすればいいも分からない。結局、仕方がなくて、子パンダちゃんが家に帰りました。
子パンダちゃんの話を聞いた後、パンダお父さんは若い息子を慰めました。「象さんとウサギちゃんは二人とも正しかもしれない、じゃあ、一緒に見に行きましょう。」そして、お父さんと子パンダちゃん一緒に家から出て、その川に行きました。川の側に着いた時、お父さんは「さあ、自分でやってみましょうか」と息子に言いました。子パンダちゃんは気をつけて水にはいて、そして水の中にゆっくり歩いて、ついに向かい側に着いた。子パンダちゃんはとても嬉しくてお父さんに言いた:「川は象さんが言いたより深くてウサギさんが言いたより浅いね。」
「そうですよ。世の中には分からないことがよくあります。その時、ほかのみんなの意見も重要ですけど、彼らは彼らの目で見ているので、やはり自分でやってみなければわからないよね。」
そして、子パンダちゃんはお父さんと一緒にお爺さんの家に行きました。

レン・ユーさん

この町では、ある都市伝説がありました。高校の学生委員会を倒せれば、学校を制覇できるということでした。朝には、普通の学校しか見えませんでしたが、夜には、学校は少年たちの戦場になりました。この物語は、少年が夢を持ち、いつもあきらめなくで戦うと言う話でした。
ある晴れの日に、主人公のクラウドと彼女のテイファは湘北高校に行くところでした。それから、二人は交差点で会いました。
「あっ、クラウド。今日は、早いね」テイファがいいました。
「うん」クラウドが小さい声でいいました。
「クラウド、元気ないなあ。悪いものでもたべたかな?」
「最近、学校がちょっと変になってきた。委員の者は何が企んでいるかも」
「は?あっ、そうなことより、今、はしらないと授業におくれちゃうよ」
テイファが学校に走りました。
「待って」クラウドはテイファに追いました。
テイファが先に学校についました。
「うん?高校に誰もいない?」テイファが自分にはなしました。
その時、学生委員長のハーデスが現れました。
「きみがテイファか?」ハーデスがいいました。
「うん…学生委員長?」
「…」
数分後に、クラウドも学校についました。
「うん?高校に誰もいない?」クラウドも自分にはなしました。
ハーデスが再び現れました。
「俺はテイファを诱拐した。彼女を取り戻したいなら、俺を挑戦しよう」ハーデスがいいました。
「俺はこの高校を制覇し、そして彼女を助けて見せる」クラウドがいいました。
「寮に来い。私はそこに待っている。わははははは…」
ハーデスが消えました。
クラウドは寮に行きました。そこに、とても筋肉の人がいました。あの人の胸に七つの傷を付けていました。
「君がクラウドか?俺は学生委員のケンシロウ。俺は北斗神拳の伝承者だ!」
「ケンシロウ?」
「北斗神拳のなをかけて、ここにはとらない」
「ふん、君とあそぶの時間がない。ハーデスに案内してもらわないか」
「何?俺を馬鹿にするか。まぁ、話がここまでだ。くらえ、北斗百裂拳!」
ケンシロウはクラウドに攻撃をかけました。
「見えた、見えた!」クラウドはすべての攻撃を回避しました。
「馬鹿な。俺の拳をかわする事ができるはつがないのに」
「画竜点睛!」
クラウドは嵐のようにケンシロウに懸かってきました。
「うああああ…」ケンシロウが倒れました。
クラウドがハーデスの前にいきました。ハーデスはテイファを人质していました。
「クラウド!俺の部下を倒したのか。でも、俺は学生委員長だ。貴様に俺の力を見せてやる。これがとどめだ」
「ふん、では、超究武神覇斬!」そして、クラウドが勝ちました。それに、クラウドが湘北高校を制覇しました。

アレックス・ネルソンさん

スーパーたこと悪いサメ
   むかしむかしタコが住んでいました。かれの名前はラコでした。ラコと言うタコがいました。ラコは友人のユウと言うヒトデと小さい静かな町に住んでいました。ラコとユウはかいなんで遊んでいました。しかし、この日は何かが違いました。かいなんの水が少し変でした。ユウは「ラコ、そこへ行きないで」と言いました、でもラコは聞いていなかった。ラコはそこへ泳いだらスーパータコがなりました!そしてかれはもっと強くもっと早くなりました。それから、かれのげそは前よりものびました。ラコは人々を助けるためにかれのパワーを使おうと思いました。
サメが来るまで何年も後もラコの日常はだいたい同じです。サメたちは海の中で一番いじわるでした。みんなはおそれています。かれらはいつもほしい物を手に入れて、今回はラコがほしかった。スーパータコのことは海ぜんたいに知れわたっていました。サメたちはかれが迷惑と思ったので、グループに入ってほしいと思いました。もしラコが入らなかったとしても、かれらはスーパータコほしかった。
サメが、ラコとユウがかいなんで遊んでいるのを見つけました。ユウはこわがったが、ラコは「大丈夫。」と言いました。サメたちのたいちょうはタイガーでした。タイガーは「こんにちわ。俺の名前はタイガーです。俺たちはグループに入れ」と言いました。ラコは「すんません。私は人々を助けるためにパワーを使います。私は入りません。」と言いました。タイガーは「あなたはこうかいする。」と言いました。ラコは悪いことがおころうとしていると思って町へ早く帰ろうとしたが、遅かった。町はほるびりた。今、ラコはサメをたおさないといけないと思いました。
ユウのおかげで、ラコはサメたちのアジトを見つけました。アジトに着く前に、ラコは十二アザラシという、サメたちのボディーガードに出会いました。ラコとアザラシがたたかったいる間、サメたちはユウを連れ去りました。ラコがアザラシをたおした後、サメたちを見つけた、でもユウはとらわれています。タイガーは「もし友達を生きて返してほうしかったら、グループに入れ。」と言ました。ユウは「しないで。」と言いました。ラコは海の中でもっとも強く、もっとも早い動物なのでこわがりませんでした。ラコは「僕はたすける」と言ってせめ始めました。ラコはユウをとらえているサメたちを早くたおしました。タイガーはびっくりしました。タイガーはラコが強いと知っていたがこんなに強いと全然知りませんでした。サメたちはにげて、タイガーを一人にしました。タイガーはたたかおうとした、でもからにはかないませんでした。たたかいは一しゅんで終わりました。ラコはかちました。
たたかった後ラコとユウは町に帰って町を直しました。たくさんの魚はたすけて町を直しました。サメたちはいなくなって海にへいわがもどりました。

マデリン・セピースさん

ひろしとさる
   ひろし君は男の子いました。十さいでした。そして、いい学生でした。毎日にひろし君は勉強しました。一日にひろし君は勉強していました。とつぜん猿(さる)はまどにあらわれました。ひろし君はびっくりいました。でも、ひろし君はていないでした。ですから、ひろし君は猿に出迎えました。
ひろし君は「こんにちは猿さん」と言いました。
猿さんは「男の子はさると遊びませんか?」と言いました。
「ああ、楽しそうです。でも、私は勉強していますよ。ごめんなさい。」ひろし君と言いました。
猿さんは「お願いします。遊びませんか?」と言いました。
ひろし君は「はい。でも、今晩に勉強します。」と言いました。
ひろし君と猿さんはそと行きました。いっしょにそとに遊びしました。でも、七時にひろし君は家に帰りたいでした。
ひろし君は「猿さん、私は家に帰りますよ。勉強して晩ご飯を食べます。」と言いました。
猿さんは「ひろし君はさると二時間しか遊びません。ひろし君は猿の家に行きませんか。猿の家に晩ご飯を食べます。」と言いました。
ひろし君は「うん、私は猿さんの家で晩ご飯を食べます。それから、家に帰って勉強します。」と言いました。
ひろし君は猿さんの家に行きました。猿さんの家は大きい木でした。ひろし君はたくさんバナナを食べました。楽しかったですよ。でも、八時にひろし君は家に帰りたいです。
ひろし君は「猿さん、八時です。暗くなりました。私は家に帰りたいですよ。」と言いました。
猿さんは「ちょっと。ひろし君の家はとおくにあります。それに、そとに暗いです。ひろし君は猿の家に泊まればいいのに。」と言いました。
ひろし君は「ああ。私は猿さんの家に泊まります。」と言いました。
ひろし君は猿さんの家の泊まりました。ひろし君は勉強しませんでした。それに、夜中にひろし君と猿さんは遊びました。一時にひろし君はさいごに寝ることにしました。 朝にひろし君は目を覚ました。でも、ひろし君は猿さんの家にいませんでした。どこにいるか分かりませんでした。ひろし君は猿さんをさがしました。ひろし君はさいごに猿さんを見付けりました。
ひろし君は「猿さん、どこにいるか分かりません。」と言いました。
猿さんは「ひろし君は猿の世界にいます。」と言いました。
ひろし君は「私は家に帰りたいですよ。」と言いました。
猿さんは「ひろし君はぜんぜん家に帰りません。ひろし君は勉強しませんでした。そして、ひろし君はとても遊びました。いまひろし君は猿の世界にいます。とても猿と遊びます。いつまでも猿の世界にいます。」と言いました。
ひろし君はいつまでも猿さんの世界にいました。いつまでもさると遊びました。家に帰りませんでした。ぜんぜん両親を見ませんでした。子供は勉強します。ぜんぜん猿と遊びません。そいでなければいつまでも猿さんの世界にいますよ。

ジュリー・リンさん

白い蛇の王子
   遠い昔、人 々の心の良い願いは、しばしば現実となることができます。その時代の魅惑的な、ある王されていた。キングは、すべてのそれらの非常に美しく見てきた三人の娘がいる、特に彼の小さな娘は、美しい花の妖精のような、さらには満月のすべての彼女の美しさにショックを受けていたです。
近くに王の宮殿は、大きく暗い森があった。森林の中に古い樹の下に、深い湖があった。暑い天気な時には、リトルプリンセス頻繁にこの森に来た、クールな湖の上に座した。彼女はそこに、所在無い時、黄金のボール取り出して、空中に投げして、手で捕まえた。それになった彼女のお気に入りのゲーム。
1つの機会では、黄金のボール彼女の手に落下していないが、地面に落ちた、と一度に湖のロール。プリンセス注視しているの黄金ボールが、サザーランドは、湖で無影度が見ている。これは、湖の水、深いですから、プリンセスの終わりを見ることができない、泣いて泣い非常に悲しいされました。泣いて叫んだ、小さな王女が突然大声で誰か「ああ、プリンセス、どのようになりました」という話を聞いた。これらの言葉を聞いて後は、小さな王女前後だったが、声から来たかを見つけることが欲しくて、突然一匹白い蛇が水からでて発見した。
   プリンセス白い蛇は、「私の黄金ボールは湖に落ちたので、私はここで泣いている」と述べた。「まあ、泣いてはいけません悲しくはないが、」白い蛇は答えた、「私はあなたを助ける方法があります。あなたが私の返済に何かを意味するのか」。「親愛なる白い蛇、どのようにあなたは、」リトル プリンセスは答えた、「私の服、私の真珠や宝石、さらに私の頭はこの黄金の冠をかぶって、あなたを与えることができます。」これらの言葉を聞いて後は、プリンセスの白い蛇は言いました「私はどちらにつながる必要はありません。しかし、もし約束をした場合、私にあなたの良い友達になるように、湖に行くあなたのゴールデンボールを探りとる」。リトルプリンセス派。「いいよ、私が約束している」と言った。しかし、ゴールデンボールを受け後に、彼女は離れていた。翌日、プリンセスとキングとは朝ごはんを食べた時、「リトルプリンセス、ドアを開いて」と聞いた。リトルプリンセスは急いでドアを開いて、白い蛇を見た、突然ドアを閉めるでありました。キング、リトルプリンセス取り乱していた調べて、彼女の質問「外、だれがある。何が起こって何ですか」。リトルプリンセスは昨日起きたのことキングを説明して上げていた。リトルプリンセスを聞いた後、王は言った「あなたはその言葉を維持することはできない、ドアを開けて彼に来る」。したがって、キングの意向に従い、彼はプリンセスの親友となった。

アイサ・ファンさん

「ランプの魔人」
   昔々、ある貧しい町がありました。内乱のせいで、多くの住人達は病気にかかり、お金や食べ物も無く、毎日苦しんでました。そんなある日、この町に魔法が使える種族が現れました。彼らは町長に聞いた。
   「願い事を聞こう。貴方は何が望む?」
   町長は周りの苦しんでる人々を見て、「この町を助けてくれ」と願った。魔人族はこれを聞き、不思議な魔法を使って町の人達を幸せにしました。病も消え、空腹も無くなり、内乱から守られ、やがて平和が戻り始めた町は豊かな町になり、人々は喜びました。
   しかし、人間はとても欲深い生き物だった。「魔法を使えば願い事は何でも叶う」と思った町の人々はこれを利用し、次々に無茶な願いを頼み続けた。町の住人達は段々この魔法に頼りすぎ、贅沢を知り、皆怠け者になりました。魔人族はこれに気付き怒りました。
   「我々は貴方達の為に魔法を使い、貴方達を貧しさから救ったのだぞ。甘えすぎだ!」と怒鳴り始めた。
   「礼も言わずにわがままを言い、我々に頼りすぎた罰として、この呪いをかけてやる。そんなに願い事が好きならば、一生人々の願い事を聞き、人類の願いを叶い続けるが良い!」と言い、あ  る呪文を唱え始めた。
   町の人達はこれを聞いて、急いで魔人族に謝った。しかし魔人族の怒りは収まらず、呪文は完成された直後、町の人々は魔人族が用意した数々のランプに封じ込められた。これが、我々が知っている「ランプの魔人」の由来だ。。。
   。。。そんな話は信じられない?そのランプを摩ったのはお前だろ?ま、信じるか信じないのは勝手だが、君は今回のご主人様だ。そして私が君の望みを一つだけ叶える事ができるのさ。それが叶ったら私は消えるよ。言い忘れたが、制限はあるんだ。まず、誰も殺すことは出来ない。二つ目は、死んだ人を行き返すことは出来ない。そして三つ、誰かを自分の事を好きにすることは出来ない。後は、願いを増やせとか、不老不死とか、ふざけた願いはだめだぞ。
   え、どんな願いが良いかわからない?一つだけだから結構悩むことさ。前の主人達はみんな俺みたいにばかだったよ。野望や欲望に惑わされ、結構嫌な願いばかり叶えたよ。
一番多く聞かれるのは、「力」かな。「力」なんかを欲しがる理由は特にわからない。総理大臣や軍の権力なんかをコントロールしてそんなにうれしいものなのか?戦争や政治の義務なんか堅苦しい事なのに、なぜそんな事を願うのかわからない。
「美貌」を求める奴らも多い。生まれてもらった顔に不満があり、他人の顔や体を妬む奴らは多い。ある女は好きな男性の気を引くために「自分を世界一美しい女になりたい」と願った。私はその願いを叶え、彼女は多くの男性の注目を引いた。やがて愛する男と結婚も出来た。
だか、彼女は自分の美貌に惚れ、毎日鏡を見続けた。
    「あぁ、私は世界一に美しい」と考える事しか出来なくなってしまった。
そんな彼女も年を取ればただのばーさんになる運命だった。顔にしわが出来、自慢の髪の毛だって白く染まり始めた。
    「こんな姿になるなら死んだ方がマシだわ」と言い、彼女は自殺してしまった。
「才能」も欲しがる奴らも山ほどいた。自分の作った物に満足できず、常に他の人達の「作品と才能」に嫉妬する。
ある小説家はその「才能」が欲しいと願った。
「自分は他の皆みたい恵まれていない。そんな自分は世界が認める小説家になりたい。」
その後、彼の書いた小説は必ずヒットになるようになった。しかし、自分の力で書かなっかたのに、果たしてそれは本当に才能とは言えるのか?自分に不満を持ち、ある親友に相談に行った。その親友も趣味で小説を書いてた。彼は親友の小説を読み、泣き始めた。本当の「才能」はそこにあった。自分の精一杯の力でやれば、「才能」なんかただの言葉に過ぎない。
色々話したけど、そろそろ決めたかな?君は頭がよさそうだから、良い願いを期待しているよ。
「願い事を聞こう。貴方は何が望む?」

アレックス・スミスさん

心ない王様
   昔、ある国に何でもほしいがある王さまがいました。子供の時に王さまの両親はせんそうになくなりましたから、王さまはたくさんお金をもらいました。一人でさびしいので、王さまは嬉しいになるために全部好きな物を買いました。そう言う風に王さまは育ちました。きちんと大人になりました時に王さまはとてもがめつい人でした。王さまは世の中にすべてを手に入れたいんでした。

   ほしい物は何でも世界中から買い集めました。王さまはみんなに言いました、「わしの持っていない物はないだ。」その言葉の言うとうりに王さまの王国は世界に一番大きい王国でした。多くの人達はどこでもからこの王国に見に来ました。王国はたくさん店がありましたので、王国の人達は王さまのようにお金持ちでした。その事は王さまに喜んでいました。王さまは、「こな風に王さまの生活らしい。」と言いました。本当に見事な見物でした。

   ある日王国に旅商人が商品を売って来ました。王国の門をわたりました時に旅商人はすごい感じがありました。旅商人は、「えー。すっげい平和な町だなあ。みんなは嬉しそう。この王国に生まれた人達はこううんだ。誰でもこの王国に住んでるなら喜んでるはずだ。」と思っていました。この旅商人はとても遠い国から来ましたので、王さまは特別に旅商人を呼んでいました。旅商人はすぐに王さまのおしるに会いに行きました。旅商人は、「始めまして、王さま。王さまのめいれいから、せっしゃはここにまいりました。どのように王さまにやくにたちますか。」とたずねました。王さまは、「きさまかなあ?あっ、そうだ。たしかきさまを呼んでた。きさまの来た国はわしの国からずいぶん遠いよね。」と聞きました。旅商人の答えは、「王さまのおっしゃるとうりでございます。それで、王さまは何をごぞんじしたいですか。」王さまは旅商人に聞きました、「わしの国はどう思う?わしのたから物はどう思う?世の中にわしを持ってない物を見たか。」旅商人は王さまに言いました、「今すぐまいりましたから、王さまのたから物を全部けいけんしたことはまだありません。一週間に王さまのおしろを調べることをいただきたいんです。その一週間に終わる時にせっしゃは王さまの答えをあるはずでございます。」「じゃ、好きにしろ。」は王さまの言葉でした。

   一週間に旅商人はおしろを調べました。旅商人のこれまですべてを見ていました物は王さまのおしろにありました。旅商人は、「本当にすげいなあ。この国の王さまはたしかに世の中にすべて物がある。」と思っていました。

   一週間の終わる時に旅商人はまた王さまに話に行きました。王さまは旅商人に、「さー、どうだった?」とたずねました。旅商人は、「王さまにおっしゃったとうり、」と言う中でしたが、その時に王さまの若い部下は王さまに何を聞きました。王さまは若い部下に、「だまれこのぶれい者!さっさと出て行け!」とどなりました。その後に旅商人が言いました、「すみませんですが、王さまにもお持ちになってない物があります。それは人の心でございます。」王さまはびっくりな顔で、「このわしはちゃんと人の心がある。ないならどうやて今まで生きたんだと思うか?自分の国をもどれ。」と旅商人に言いました。

   おじいさんになりましたまで王さまは旅商人の言葉は考えていました。王さまは、「あの時の商人の言葉は何の意味のかなあ。わしはちゃんとの心があるだよ。嫁がいるし、子供がいるし、国の人達はみんなお金持ちだ。わしはいい人間と思うけど。。。」と思っていました。あの日、王さまは忙しくない道を歩いてながら、みょうなさわぎを見ました。王さまはあの所へ調べて行きました。王さまを見ましたのは旅商人と話した時のじゃまな部下はごうとうなっていました。王さまは部下を守るために、どろぼうとたたかいました。どろぼうはたんとうがもっていましたので、あのたんとうで王さまをつきころしてにげました。部下はたすかりましたけど、王さまは死にました。

   何日後に王さまのおそう式でした。ぐうぜんに昔の旅商人は王国に売り買いに来ました。旅商人は、「どうしてこの嬉しかった人達はそんなの悲しい顔があるのかなあ。」と思っていました。「オイ、何でみんなはいんたんでいますか。」って旅商人はぼんぐにたずねました。「王さまはなくなりましたからだ。今すぐ王さまのおそう式は始まるはずだ。」とぼんぐの答えでした。そして、旅商人は王さまのおそう式に見に行きました。「王さまは私のたすけるために命を引き返しいました。心からいつもかんしゃしています。」とは誰の言葉を言いました。あのことを聞きました時に旅商人が笑えました。「やっと人の心を見つかったじゃないか、王さま。じゃ、さようなら。」

永遠に王さまは人の心の中に親切な王をとしてきおくされました。

2009年9月15日火曜日

ケイラブ・ハービーさん

夏休みから今まで

   今年の夏休みはあまり休みがありませんでした。夏休みにたいてい家にいました。それでも、時々住んでいる町の外に行きました。五月の初めにルームメートと新しい家具を買うためにシカゴにあるIKEAと言う店にはじめて行きました。ルームメートの寝室(しんしつ)のためにたくさん家具(かぐ)を買いました。そのあと、私は寝室の壁(かべ)に大きい絵を描きました。その月にウィイを買ってたくさんゲームをしました。とても楽しかったです。一番好きなゲームは何かまだ決めていません。子供の時から英語で「Super Smash Bros」と言うゲームが好きですから新しいウィイのは一番好きかもしれません。
 本当にやりたい仕事は歌集だから、一番大切な趣味は音楽を書くことです。それから、たくさん音楽を書きました。たいてい英語で歌いますが、一度韓国語でも歌って試(ため)しました。そのあと、たくさんの韓国人がイメールやコメントを私に送ってくれました。ほかにも韓国語の歌を歌って試したいです。そして、日本語で歌を書いて試したいです。日本語を練習するために日本人二人とあって話しました。週に二度会いました。今、日本語で前よりもう少し早く話せると思います。キャンパスの近(ちか)くに住んでいるから、お父さんとお母さんは私の家に来て一緒にキャンパスに行きました。そのあとで、一緒にタイレストランで昼ご飯を食べました。
 八月にインヂアナポリスに行きました。「Cheesecake Factory」と言うレストランで初めて食べました。食べた物はとてもおいしかったです。もう一度行きたいです。一週間後、隣(となり)の「P.F.Chang’s」と言うレストランで初めて食べました。そのレストランもとてもおいしかったですが、「 P.F.Chang’s 」より「 Cheesecake Factory 」の方が好きです。その後、大学のクラスが始まりました。私はまたがんばります。

ケリー・ファンさん

今年の夏休みは少し疲れました。妹も同じ時間を終わったから、五月の試験後で、私とシンガポールに帰りました。仕事を始めたの前に、五日間しか休暇があった、むっかそうようの感がありました。でも、お母さんは「若くないから、じむのする方をわからなければいけません」と言った、そして、ストクスの会社に働きました。大切な仕事から、何もをしていけないし、インターンだし、六月末を辞しました。

夏休みの中に、台湾と上海とロスアンジェレスに行きました。お爺さんはもと病気になったから、よることにしました。来たの時、お爺さんはとてもうれしかったから、もっと来ればいいと思いました。だから、台湾に行ったことは三回で、上海に行ったことは二回でした。お爺さんによったから、友達と会わなくたが、たくさんおいしい食べ物を食べたから、だいじょうぶだったと思います。

七月の中で、私とお母さんと妹と友人は一週間にロスアンジェリスへ行きました。たくさんショッピングをしたり、いい食べ物をたべたり、テームパークの全部ローラーコースタをしました。とても楽しいです。それから、或る夕飯、「モーガン・フリーマン」という有名アクタは同じレストランに食べました。それに、ロスアンジェリスで叔母さんの家に住みました。マイカル・ジェックションの家は近いから、死の日、私達は家に見に行った、悲しくて、花をおきました。私の誕生日はこの月にても、たくさん有名人を死んだが、うれしくないになりました。

シンガポールにいたの時、たくさん友達と会いました。いくつ人はシンガポールに住んでいたか、外国で大学に勉強をしていたか、見にくいから、多い会うのがあるました。シンガポールに、十八歳にいたら、お酒を飲んでもいいです。ですから、クラブへ何度も行って、たくさんお酒を飲んで、時々気分が悪くても、楽しかったと思います。おもしろい人に話しかけた後で、新友人を作りました。
この夏休みはいじょうじゃないけれど、一番大切な点は楽しかったと思っています。

2009年9月13日日曜日

レン・ユーさん

私は、夏休みに上海に帰り、中学の友達と同窓会をやりました。私は、今、四年生だが、
一年生の時と二年生の時の夏休みに家に帰りませでした。この二つの夏休みに、パデュー
大学で授業を取りました。今年の夏休みは私の指しぶりな長い休みので、とても楽しかっ
たです。
同窓会で、みなに会い、あいさつをしました。私はみなと長い間に会わないので、みなは
多少印象の中と変わりました。ええ、~さんこなったと同窓会でよく聞きました。中学の
時に、日本から帰り、私より二歳大きいシンさんという転校生がいました。シンさんは、
そうの時に、教室の後列で私の隣に座り、私と同じぐらい高さだった。しかし、私は背が
とても高くになったが、シンさんはぜんぜん変わりませんでした。初めて逢った時、シン
さんはすごく驚きました。
あいさつをしたら、みな一緒にカラオケに行きました。私は普段ポップミュージックが聞
きず、歌がぜんぜんだめでした。しかし、女性の友達は歌うことがとても上手でした。そ
うの人たちの中に、マオさんという人が一番いいと思いました。マオさんは様々な曲がう
まくうたいました。たぶんよく練習しでいたかなと思いました。やはり、せっかくな同窓
会ので、私も何曲を歌いました。私はうたった曲は北斗の拳のオーペンニング「愛を取り
もとせ」やセイント星矢のオーペンニング「ペガサスの幻想」。私は、「ュはショク」とい
う歌詞がとてもハイピッチでうたいました。少し声がおかしいので、みなに笑われました。
そうして、「抱きしめた、心のコスモ」という歌詞を歌いながら、燃えりました。
歌をうたったら、中学のクラスメートと韓国料理の店に行きました。釜山という焼肉屋で
みな一緒においしい牛肉を食べました。そうのクラスメートたちに、今どこに勉強してい
たと聞いたら、3人がアメリカで留学すると2人がイギリスで留学すると2人がオースト
ラリアで留学すると答えました。
そうの後、同窓会が終わりました。

ミサ・パークさん

家族旅行
私は夏休みに韓国に行きました。パーデュで1ヶ月間サマークラスをとったから6月に韓国へ帰りました。私が韓国に着いたごろはとてもあついでした。暑く過ぎて私の家族は7月に家族旅行へ行くことになりました。私の家族はみんな温泉が好きで夏にも冬にもよく行きます。去年の冬休みには温泉に行くために日本の北海島へ行ってきました。日本みたいに韓国にも有名な温泉がたくさんあります。それで、私たちは温泉旅行をすることにしました。韓国は小さい国だから車でどこでも行きやすいです。
私の父は韓国で一番大きいお湯のプールがあるコンドのメンバだから、一番経験がいい部屋に予約することができました。そのコンドは“スパーケスル”という新しいコンドでした。ソウルからあまり遠くないので車で2時間ぐらいかかりました。人たちがこんでいましたが、わたしはプールでは人が多い方が楽しいと思いました。私と妹と弟はとてもたのしくてプールの中をずっとまわったり、ダイビングをしたり、およぎました。一番好きなのはやはりプールのスライドでした。私は妹と弟と何度も乗りました。それを乗るときメットみたいなものの上に座って乗らなければいけないですが、私がまちがって子供用のメットを持って行ってあそこではたらいていたおじさんに“中学生ですか”と聞かれたら妹に笑われてはずかしいでした。5回ぐらいスライドを乗った後、プライベットプールに行きました。あそこはプールの2階にある場所でした。1時間私の家族だけ入れました。そこにはいろんなタイプのおふろがありました。例えば、ローズのにおい、レモンのにおい、緑茶のにおいがありました。私の家族だけ静かなどころでいろんな話しをしながら楽しいじかんを過ごしました。ふつうには父が仕事で忙しいから多くの話をする機会があまりなくて、とても大事な時間を父と家族みんなと過ごしたと思いました。その後、プライベットプールを出て、そのの隣にあるテェラフィールムでマッサジーをうけました。私と妹はココナットスクラブをうけました。においがあまくてやわらくてとてもよかったんでした。温泉に入った後はいつも気持ちが最高です。肌がきれいになってうれしいでした。
私たちはよるの6じごろプールを出ました。7時間ぐらい遊んでコンドに戻りました。そしてコンドの部屋で焼肉を作って食べました。家族みんないっしょによるご飯を準備しました。何でも家族みんなでいっしょにするのは意味があると思います。韓国式の焼肉はどてもおいしいでした。その時、ぐうぜんそとで花火をしました。コンドのイベントでした。わたしたちはきれいな花火をみながら焼肉を食べました。今度の夏休みの最高の瞬間でした。

アレックス・ネルソンさん

私の夏休み

私の夏休みの始めはとてもつまれないですよ。なぜならば私はパデュー大学に泊まることにしたからです。アルバイトをさがすためにパデュー大学の泊まりました。だれも私をやとってくれなかったので、アルバイトができませんでした。私はまだアルバイトをさがしている。けれども、七月の終わりに二週間ぐらい、私のガールフレンド、えりな、がアメリカへ来たので、私の夏休みはよくなりました。えりなは日本人で大阪から来ました。ふつうのカップルのように毎日会うことが出来ません。
えりなは四ヶ月前に旅行を予定していました。この前の時えりなに会ったのは春休みです。私はえりなに会うことをとても楽しみにしていました。私はえりなとスカイプを使って話ます。でも会うほうがずっとずっとよいです。えりなは火曜日の晩オヘア空港に着きました。私はうれしかったです。水曜日、えりなが時差ボケだったので、私たちはなにもしませんでした。木曜日に私たちはカブスゲームに行くました。一日の始まりはよくなかったです。私たちはシカゴに行く電車に乗ることができなかったので、私はリグリーフィールドまで車で運転しました。私はシカゴに車で運転したのは初めてでした。事故があったので、車が遅かったです。私たちはゲームが始まる二十分前にリグリーフィールドに着きました。私たちはチケットを持ってなかったので、私たちはそこでチケットを買う予定でした。チケットは高かったです。安いチケットはスタンディングルームオンリーでした。私たちは安いチケット買って空いている席に座席に座りました。カブスはかちました。けれども、次の週の木曜日はさいこうの日でした。木曜日に私たちは「ビッグデート」にシカゴへいきました。私たちは九時にシカゴに着きました。私たちはミュージアムパークに行きました。三つのミュージアムが近くにあります。最初にシェッド水族館に行きました。水族館はとても楽しかったです。私たちはすべてみて、四時間ぐらい水族館にいました。その後でアドラープラネタリウムに行きました。私はうちゅうが好きですが、えりなは好きではないと思います。しかし、えりなは「プラネタリウムに行きたい」と言いました。二時間ぐらいプラネタリウムにいました。次にフィールドミュージアムに行きました。ミュージアムはつまらなかったので私たちは長い間にいませんでした。私たちはワォータータクシーに乗ってネイビーピールに行きました。晩ごはんの後でかんらんしゃに乗りました。デートは終わりました。パーフェクトな一日でした。金曜日にパデュー大学に行きました。土曜日にキャンパスへ行ったら、さくらい先生に会いました。私はとてもびっくりしました。火曜日にえりなは日本に帰りました。私はずっとずっと悲しかったです。私はさいこうの二週間を過ごしました。

ピーター・ストックウェルさん

   今年の夏休にパーデェ大学にいました。大学でびじゅつのクラスを取りました。私の専攻はグラフィクディサインですから、Foundations of 3-D Designを取らなければいけませんでした。毎日、毎日たくさん宿題をしました。いろいろポロジェクトを作らなければいけませんでした。フォームやかみやアルミなプロジェクトを作りました。カメラややなぎやはくちょうや作りました。プロジェクトはむずかしじゃなかった、でもふくさつたようでしたよ。そうですから、ひまな時がありませんでした。毎週パァオビルで何時も働くことになりました。私はよく一時もねたことがありません。
一週間一度にコンピューターラブにいきました。コンピューターラブでコンピューターアニメを作りました。このプログラムが使いにくいでも、私はこの夏前にこのプログラムをつかいましたです。だから、私はクラスメイトをてつだいました。
このクラスでいろいろ生ととあいました。たくさん友達を作りました。みんながおもしろくて、あたまがいいでしたなぁ。みんなのプロジェクトがうつくしくて、おもしろいでした。このクラスの先生がかっこいでした。毎日しんせつなくて、ゆうようなくて、おかしいでした。
   このクラスは七月にはじめまして、八月におわりました。八週間ぐらいがいました。毎週二十じ間ぐらい宿題をしなければいけませんでした。でも、このクラスはおもしろくて、たのしかったです。この夏休みがちょとつまらなかったでした。でも、このクラスを取らなければいけませんでしたから、だいじょうぶですね

アイサ・ファンさん

・私の夏・
私はこの夏、パーデュー大学で数学のクラスを取ってました。“この夏は学校だけでこんな風に終わってしまうのかな。。。”と父に愚痴をこぼしてたら、“来週、仕事の都合でニューヨークに行く予定だが、一緒にニューヨークへ行くかね?”と誘われました。私はニューヨークへは行った事が無いので、これはいい社会勉強になるなぁと思い、喜んで行く準備をし始めました。
   ニューヨークへ行く日は、丁度クラスが終わる日でもあったので、急いでインディアナの空港へと向かいました。二時間の飛行の後、午後六時半にジョン F ケネデイー国際空港に着き、地下鉄に乗りかえって、ヒルトンホテルで父と合流しました。次の日は朝早く起きる予定だったので、すぐ寝てしまいました。
   次の朝、私と父はニューヨークの地下鉄に乗り、見物に出かけました。ニューヨークの地下鉄はとってもうす暗く、ちょっと気持ち悪かったです。ところが地上に出るとまるで違う世界みたいだった。ニューヨークの第一印象はやはりビルがすごく高く作られ、人もいっぱい歩き回っていて、東京並みの都市です。“すごい”としか言えなかった私でしたが、父は何度もニューヨークに来ってましたので あまり動じてないみたいだ。自分の中でなんだかインディアナが田舎っぽく感じました。
   道の両側をよく見れば ファションのお店がずらり並んであり、ほかに宝石屋、ブランド品のお店、本屋、ホットドグの屋台もいっぱいありました。買い物がしたいならニューヨークで買えないものはないと言うが、なんだか納得できます。服やアクセサリーに興味がないと言うのは嘘だが、私がもっともしたかった事が三つありました。まずは、やはり自由の女神に登ることです。現地に着くとショックでした。自由の女神は小さい、エリス島と言う島にあるので、歩いて行くのは不可能。普通は船に乗って行くものだが、船の前の列がまるでデズニーランドのアトラクション並みの列だったので、普通に待ってたら丸一日は潰れてしまうだろう。結局自由の女神に登ることはできなかったが、実物が見れただけでも満足はしました。
   二つ目はエンパイア・ステート・ビルディングに上る事です。このビルは1930年に建てられ、晴れた日にはニューヨーク市を見渡せれると言われている。実際登ってみたら、やはり人混みが多く、風もとっても強かった。上から、普段テレビや映画で見るニューヨークの夜景を自分の目で見れることが出来ました。 帰る前の日に、最後でニューヨークで見たかったのは世界でも有名なブロードウェイショーでした。色々なミュージカルを公演してました中で、最も人気のある“ライオンキング”のチケットは一人約三百ドルまで上がってました。よく考えたらお金が足りなかったので、“ナイントゥファブ”と言うショーに決めました。“聞いた事の無いミュージカルだからつまらないに決まってる”と思いましたが、最後までおもしろく見てました。やはりプロの芝居、歌、ダンスには感動しました。
短い旅行でしたが、ニューヨークでいっぱい楽しい思い出が作れました。

ジュリー・リンさん

私の夏休みについて
   私は楽しいなつやすみを過ごしました。夏休みは5月から8月までです。夏休みにはずいぶん暑いので、私はよく外出せずに家にいた。学校がいかないで、毎日遅く起きました。アルバイトをすることにしたが、景気が悪いので、仕事を探しにくいでした。夏休み間、わたしは、シカゴとセントルイスに行いて、お母さんの家事をてつだって、私と妹はモールへ一緒に買い物に行きました。
   一年間中で、六月は私の一番好きな月でした。この月私の誕生日があるんでした。私の家族は、今月パーティーを持つことにしました。この日の朝、妹は誕生日ケーキを彼女が予約していたピックアップに行いて、お母さんはたくさんたべものを作っていました。私は、テーブルと部屋をセットアップする必要があります。姉は仕事をしているが、彼女はパーティーには、仕事の後に来るされます。誕生日パーティーは私の家族のためなので、飾り物をたくさんする必要はありません。午後、スーパーマーケットにいけなければならないで、飲み物をかいました。パーティーは午後六時ぐらい始まって、時間があった、少し寝ていました。午後六時、パーティーがはじまった、ケーキをたべて、お母さんとお姉さんと妹は誕生日プレゼントをくれました。また、お母さんは誕生日の麺を食べる伝統て気菜伝統的なと思うので、スープ麺を食べました。パーティーに後で、わたしは贈り物を開けていました。お母さんの贈り物を開けた、赤い封筒の中に100ドールがありました。妹の贈り物を開けた、キヤノンのカメラがありました。わたしはいつも新しいカメラがほしいんですが、これはとてもうれしいでした。最後、お姉さんの贈り物をあけた、 新しいノートパソコンがありました。これはびっくりした。わたしはこれがとても感動しました。
   私は夏休みの三ヶ月は長くないと思った。夏休み間、いろいろことをした、とても楽しいと思いました。

マデリン・セピースさん

私の夏休み
   私の夏休みはつまらないでした。ほとんどの時は本を読みました。私はたくさん本とまんがを読みました。でも、私はインディアナビーチと言う遊園地を行きました。また、インデイアナビーチにやえいしました。だから、私の夏休みはおもしろくないでした。
さいしょの三周間にインターネットでまんがを読みした。だけど、私の母はコンピュータを使いたかったです。ですから、母はコンピュータを使うように母は私に図書館に連れて行くことにしました。図書館にたくさん本とまんがを借りました。「ヤムトナデシコ七変化」 と言うまんがを初めで読みました。私もたくさんダリン・シャンの本を読みました。「Cirque du Freak」 と言う本読んてから、ダリン・シャンの本に興味を持つようになりました。また、さいごにリーモニ・スニケットの 「A Series of Unfortunate Events」と言う本を終えりました。私の夏休みはおもしろくないでした。
夏休みの終わりに私の家族はインディアナビーチと言う遊園地行きました。年会を行ったので、母はインディアナビーチに行きませんでした。だから、私の父と私の弟と私だけ遊園地を行きました。ゆえいちで泊まることにしました。また、父はたくさんジャンクフードを買いました。たのしいでした。けれども、たくさんジャンクホードがあって、とても食べられませんでした。また、テントに寝にくいでした。だけど、たのしいでした。また、遊園地で弟とたくさんローラーコースターを乗りました。私の父は私にネックレスをくれました。私の休暇は楽しいでした。けれども、母にインディアナビーチに行ってほしいんでした。休暇の後で父は私にウェストレフィレト連れて行きました。
   私の夏休みはおもしろくないでした。ほとんど本とまんがを読みました。でま、インディアナビーチと言う遊園地に行きました。インディアナビーチにやえいしました。また、弟とたくさんローラーコースターを乗りました。私の夏休みはおもしろくないでした。けれども、夏休みは楽しいでした。

アダム・シェイドさん

私の夏休み

 この夏休みに、家族と一緒にオレゴン州のポートランド市へ行った。私のお爺さんの第二次世界大戦会がポートランド市にあったので、そこに行くことになった。私の家族がユタ州に住んでいるので、そこから運転し、たくさんの面白い所に止まっていた。
 オレゴン州の沿岸の近くに「The Portland Vortex」という所がある。この所の中には不思議なことが怒る。たとえば、どこかに立ち、隣に立っている人と場所を交換すると、背が高くなるか小さくなる。最初に、「これが本当じゃないかな」と思っていたが、様々な目の錯覚を経験し、納得された。
 行く途中で、たくさんのきれいな浜辺に泊まり、兄弟と遊んでいた。夏でもオレゴン州の海は非常に寒い。足まで海に入ると、足が痛くなり、すぐ出た。
 ついに、ポートランド市に着き、空港の近くのホテルでお爺さんに会った。そしてお爺さんの友達も会い、自己紹介した。
 ポートランド市にいた間、有名な所に行っていた。アメリカには一番大きい日本の庭がポートランド市にあるらしい。庭に行く前に「日本人に会うだろう。もし会ったら日本語が話せるでしょう」と思っていたが、やはり日本人に会わなく、失望した。私は日本に行ったら、ぜったいにアメリカの庭に行かないはずなので日本人がいなかった理由がよく分かった。庭に入ると、日本にいる気が強くする。美しい木や草木がたくさんあったし、枯れ山水もあった。
 あとは飛行機の博物館にも行き、「The Aviator」という映画に出る大きい飛行機を見た。その上、多くの古い飛行機やヘリコプターなどを見ながらツアーガイドが詳しくその飛行機について説明してくれた。そのツアーガイドは、知識豊富な人でも知らないことを教えてくれたので、とても驚いてしまった。一時半ぐらいに近くの映画館へ行き、3−D映画を見た。映画の内容は宇宙や月などへ行くことであった。3−Dめがねを使うことで、映画ではなく本当に経験しているという気がした。その映画を見てから、「いつか宇宙に行きたいなあ」と思った。私にとって宇宙飛行士になり、月に行くのは最高の業績だと思う。
 「あなたの夏休みは楽しかったですか。」と聞かれたら時々答えにくいと思う。やはり夏休みに楽しいことをやったが、つまらないことしか思いつかない。しかし、夏休みについて深く考えると、「夏休みはとても楽しかった」というだろう。

タナタナウィン・リンさん

私の夏休み
   今年の夏休みに私は初めてタイワンに行きました。私は一週間だけたびに行きましたから、エリクという親切な友達の家に泊まりました。エリクさんもパデュー大学生です。タイワンは小さい国そうです。北から南まで、語時くらい運転する出来ました。その国は小さいですが、たくさんの名所があります。そして、毎日ひめもす観光に行きました。
まず、れきしちくに行きました。名前はタオユアン シエン タシ道です。観光きゃくは店を次次に見て回って、たくさん写真を撮りました。その道で、有名な食べ物があります。英語で “Stinky tofu” です。私は “このとうふは強いくさいをはなすなあ”と言いました。その道の近くに公園があります。チアンカイシェクというぜんだいとうりょうのために、この公園を建てるになりました。
あくる日にタイペイ101に行きました。タイペイは101かいがいだてなので、この建物はタイワンの一番高いビルです。エレベーターがあるのに何人かかいだんを上がるできます。私はだんがたくさんあって、とても上がるできませんと思いますが、エリクさん上がりたいらしいです。がんばてと言って、一回のかいだんにさがりました。三十八分の後で、タイペイ101の上に着くりました。足がとてもいたいて、はらがペコなんですが、初志をかんてつです。ビルの中で、たくさん店があります。私はふくが三日間だいじょうぶですから、買い物をたくさんしました。でもエリクさんは私のばい買いました。
タイワンのこくりつはくぶつかんも行きました。その所にタイワンの史をならいました。いせきや、しょがや、そうだんがあります。私はエリクさんとれきしじょう名所を見物しました。とても面白いだとおもいます。
私は動物好きで、じゅういしになりたいから、タイペイ動物もいきました。ざんねんなことに動物園は悪そうです。でも、私は、その時まで、パンダが見たことはなかったです。とてもかわいいですよ。
一晩にシリンのよいちに行きました。このいちは私のタイワンの一番好きな所です。シリンよいちは店がたくさんあります。本や、家電や、服はとても安いです。それで、とてもにぎやかです。食べ物たべものりました。道には約二十の出店がならぶんですが、どの店がいいかまだわかりません。この食べ物にしようかその食べ物にしようかとまよったです。それで、七番店で食べ歩きました。たとえば、タイワンの湯名ならめんとやきとりとおでんといかやきやたべました。私の一番好きな食べ物はタイワンのホットドッグです。パンはこめから作れまして、ソーセージは中国のソーセージににてみあす。ソーセージの上に野菜とソースがあります。ぜんぶ食べなさいました。おいしいそうです。
きゅうかあっというまにすぎです。タイワンはとてもおもいしろいです。

アレックス・スミスさん

私の夏休み
あまり面白い事をしませんでしたから、私の夏休みは詰らなかっいたです。でも、少し変な話があります。八月に新しいアパートに引っ越しました。或る日、私のルームメートは、「僕の友達はここで何日泊まてもいい?」と聞きました。私は「うん、大丈夫だけど、誰?」と聞きました。ルームメートは「お前の知らない人だ。それは問題?」と聞きました。私は「別に。その人はいつ来る?」と聞きました。ルームメートの答えは「知らない。」でした。少し後に私は部屋にいてたら、ドアのノックを聞きました。そして、女の声で「こんばんは」と聞こえました。ルームメートの友達は女性なんて、とてもおどろきました。私は彼女とあいさつしました。女性は「チャンと申します。はじめまして。」と言いました。紹介のすぐ後でチャンさんは寝ました。その時に私はルームメートに「女性なにて初めて聞いた。なぜその事をちゃんと言わなかったんだ?」と聞きました。ルームメートは「お前がたずねなかったから。」と答えました。私はあまり心配しませんでしたから、部屋にもどりました。
次の日に、私のルームメイトは一週間インディアナポリスに行った、私とチャンさん二人にをのこしました。「どうすればいい?」と思いました。その日の晩によく知らない人のチャンさんはアルバイトから帰りました、そして私達は少し遊びました。チャンさんはそのじたいを気にしないように私のアパートに住んでいました。毎朝チャンさんはアルバイトに行った、毎晩アパートに帰ってきました。そして、アパートに着いた時に私はチャンさんと少し遊びました。まるでふつうの生活でした。
チャンさんの着いた日から六日後にチャンさんは自分のアパートに引っ越しました。日の午後に私のルームメートはようやく帰ってきました。私はロームメートに「なぜ私とチャンさん二人だけのこしたの?」と聞きました。「別にたいした事と思わなかったから。」がルームメートの答えでした。
これは夏休みの一つだけ不思議な話です。

アイドン・ウォンさん

私の夏休み  

  私は夏休みの時に、普通New Yorkや中国の家に帰りますが、今年はPurdueで夏のクラスを取ることにしました。毎日授業を取って、宿題をして、けっこう忙しくて、あんまり遊ぶ時間がなかったです。しかし、授業が始まる前、五月に友達に誘われて、シアトルに旅行しました。シアトルに行くのはアメリカに来て初めてです。楽しかったです。
  シアトルと言えば、雨が多いといつも聞きますよね。ですが、私がいた一週間は、ちょっと寒かったけどあんまり雨が降らなくて、よかったと思います。友達のアパートに泊めてもらうことになった。そのアパートは、シアトルで有名なBoat Houseです。アパートは船の上に建てられて、そして船は湾の水にあって、中は小さいですけどとても面白いです。シアトルの海鮮料理もけっこう有名です。レストランでいろいろなサーモンを食べて、確かに美味いと思います。シアトルはなかなか大きい町ですけど、そのdowntownは、木や花がいっぱいあって、そして綺麗で、素晴らしい所だと思います。でも、小さい岡もたくさんあるから、車を運転しにくいです。シアトルに着いた三日目に、友達と一緒にSpace Needleに観光に行きました。Space Needleと言うのは、有名で非常に高い建物です。四十数年前は、アメリカの西部の一番高い建物でした。そのSpace Needleの頂上に行ったら、シアトルの風景がすべて見えるようになるので、かなり特別な経験です。そしてある日、友達に何か食べたいものがありませんかと聞かれて、私は、やはり中国のHotpotを食べたいなあと冗談を言いました。けど、友達は本気で探して、そして結局、シアトルのChinatownに店の発見しました。シアトルでも本物の中華料理を食べられるのはちょっとびっくりしたけど、友達と一緒に楽しく食事をしました。シアトルからPurdueに帰る前に、友達の両親の家に行きました。シアトルから車で一時間ぐらいのBellinghamにあります。その家は、山の森の中に、レークサイドにあって、静くて、綺麗くて、空気もよくて、なんか素晴らしい家だと思います。私もいつかそんな場所に住みたいですね。
  これは私の夏休みです。短いですけど、シアトルに行ったのは本当に楽しかったと思います。

エリック・リゴンさん

私の夏休み

私の夏休み 私はたくさんしました。僕は アルバイト勤務して、プロレスをして、アトランタ行きました。
私は六月から八月まで、アルバイトがありました。僕はエアストチカゴの公園デパートを勤務しました。毎日、僕は用紙を記入しっだり、コピーのようしを建てたり、電話を答えしました。僕の仕事は面白じゃないなあ。毎日、面白じゃないので新聞を読みました。僕の仕事はにくいのでぼくはだれでもの文句を答えしました。多い人が失だった。ぼくはプロレスをしました。はプロレスでテレビを見つたから、プロレスをするようになりました。毎水曜日、訓練に行きました。プロレスの訓練は大変ので百プッシュアップと三百スクワトと百シトーアップと十五分走てしなければいけません.毎月、私達は二つプロレスショーがあります。プロレスショー後で、レストラントたいていいきます。私は一週間、アトランタに行きました。私のあたらし家で泊まりました。そのあいたに私は二十歳を回しました。そのあいたに 私は映画を作りました。私と友達はパロディを作りました。私は生産者、編集者、作家がいます。私達は二つ映画を作りました。わたしも七つ映画を作りました。