人生の重大なけったい
私が中1年生の時、私の妹と冬休みにカナダへ行きました。3週間カナダの学校で勉強しました。あの時はわたしにとって生まれてはじめに両親とはなれて見た経験でした。でも、あれはたった3週間だったし、私の担任の先生と私の妹と一緒に行ったからあまり怖くなかったです。カナダで初めて英語で生活してみたり、妹と楽しい旅行もしてとても大事な時間を過ごしました。それから次の中2年生の夏休みにひとりでイギリスに行くことになりました。あの時は一人で行きましたがまた韓国で会った友達と空港で集まってサマースクルの先生立ちと一生に出発したからあまり心配なくて笑いながら家族とはなられました。あのサマースクルのプログラムでたくさんの日本人の友達ができたし、初めてあそこであった友達と寮の生活もしました。とてもたのしかったし教育的な時間だと思いました。もちろん、イギリスに行った時はサマースクルだったから成績もあまり関係なかったし、英語がうまくなるようにいったのでしたがイギリスの学校の教育の方法がとてもよかったと感じました。韓国に戻って学校に行ったら、「なぜ韓国の教育はこんなにきびしい、難しすぎるし、効率的ではないか」と思いました。学年が高くなってから時間が過ごしたら過ごすほどアメリカで勉強したくなりました。それで、中3になった時、両親に「私には韓国の教育は会わないしアメリカで勉強したらもっとたのしく勉強しながら成功できる自信があります」と言いました。両親はこんな私の意見を受けてくれました。それでアメリカに行くことがけっていしてから韓国の学校は中3のときやめて、5ヶ月のあいだ留学のじゅくとえいごのじゅくに通いました。
ついに2004年9月10日アメリカに行く日になりました。数日前までにしても恐ろしいとか心配しなかったが出発する一日前になったらとてもこわくてもう留学するのをあきらめたいほどでした。一日前の日は家族といっしょに私が一番が好きなレストランにいってよるご飯をたべてながら両親はいい話をしてくれました。父は「ミサはもう大きくなったから大人しくよくするべくだ」っていいなが勇気が出るようにしてくれました。母は「もうすぐまた家族と会えるから心配しないで」っていいました。私はやっと家族たちと離れる気持ちを実感しました。あの夜、荷物を取りそらえ終わる眠ることができなかったです。あの夜に寝れなくてすっと泣きました。あの夜は生まれて一番つらくて、早かった夜でした。私の家族たちもたぶん一番惜しい夜になったはずです。私の妹と弟はもともと中がとてもよくて一度も長い間はなれたことがなかったから、私は両親とはなれるのより妹弟とはならなくてはいけないことがあまりに悲しかったです。妹と弟は私のために手紙を作ってくれました。私の決めた留学が家族たちとはならなければならないほど重要だか思いました。夜通し私のけっていについて何度も考えました。あの夜はとてもはやくて次の朝が来てしまいました。空港におじいさんとおばあさんもいっしょにむかってくれました。家で妹と弟は学校に行ったり父も仕事しにいくから別れのあいさつをしなければならなかったです。あの日、私の父が泣くのをはじめてみました。父はいつもだれよりも強い人だと思いましただ私の前であいさつをしながら涙を見せました。私は「留学させてくれましてありがとう」って言いながら泣きました。そしてきっとアメリカに行って熱心に勉強しなくちゃいけないと思いました。空港についたら私はトイレにかくれてしまいました。到底行く勇気がだせなくて妹と弟にもうあいたかったからでした。私は立った14歳でしたから子供のようにトイレにかくれてしまったのでした。母が来て私を探しました。時間が来て私は入らなければいけなくなりました。パスポートを見せて私は母と別れる前にあいさつしながらだきしめました。母はもうすぐのペランツーウェケンドに私にあいにくるって約束しました。母の約束を聞いたら少し気持ちがよくなりました。そして入り口に入ってから母はそとで私が見えない時まで私をみながら手を振ってくれました。その日は私に一番大変だったが勇ましかったし意味がある日でした。
ミサさん、ブログに投稿するのが遅くなってしまって、申し訳ありません。
返信削除ミサちゃん、あんたの旅行はとても面白いそうだ。私は常にイングランドへ行ってみたかった。私はうらやましいですね。
返信削除たくさん旅行をしましたね。とてもいいですね。ミサさんの一番好きなの国はどこですか。(not including かんこく)
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